「どうしてあの人と付き合うんですか。Webデザイナーだから役に立つのかもしれませんが」
そんな趣旨のメッセージが彼に届いたことがありました。(見せられた、とも言う・笑)
この方は、私が Webデザイナーという事を理解していて価値あるスキルと感じてくれてるんだな……という想いと
この方は、恐らく肩書きに目が行く人なのだろうし、その発言自体「あなたは価値が分からない人だ」と彼を侮辱しているなんて思いもしないのだろうな……。そんなことを思いました。
私は Webデザインという技能を人に対して開いていますが、Webデザイナーでなくなったら存在しない訳じゃない
ひとりの人間で、女性に分類される、その存在に付随する周辺情報のひとつ。
私は彼の技能を素晴らしいと思ってる(占星術師として、メッセージを発信しています)
誰にも慰められない痛みであるとか、本人が自覚できない深さにまで潜り込んでしまった諦めさえも浮き彫りにさせるような言葉の紡ぎ方を尊敬しています。
だけど、たとえば仮にもし明日、彼が「飽きてしま」って二度と詠むことがなくなっても良いと思っています。
もし「俺はパン屋になる」と言われたら、一緒にパンを焼くかもしれないし(焼かないかもしれない)
私は彼が好き。
だから彼に付随する情報の一片(仕事)も好き。
だけど、星を詠む人だから彼を好きな訳じゃないのです。
友人たちも「その人」が好きなのであって、何かを持っているだとか、何かの職種についているから好きな訳じゃないッス。
私は、あなたを知りたいし、あなたを見聞きして、「あなた」と話がしたいと思ってる。
世界をどう捉え、どんなことを考える人なのですか?
あなたはどんな個性を持つ人なんですか?
私には理解しきれぬ世界をまたひとつ教えてくれる他者。
私はそこに、興味がある。だから話がしたいって思う。
それなのに、「誰かが言ったこと」をコピーして話されてもつまらない。ましてや「私のことを、こう見せよう」と仕向けられたら、興醒めしちゃいます。
そこに「あなた」と「わたし」が居なくなってしまう。
あなたの考えていることを、あなたの言葉で聴きたい。
わたしの考えていることも、わたしの言葉で発したい。
その交流はコピペと比べ物にならないくらい、濃くてオリジナルで面白い、そう私は感じます。
そういった人間関係が、わたしは好きです♪
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