あなたの大切な人は誰ですか?
つくづく「美しい仕事とは思いやりだなあ」と感じます。
以前、わたしの思う「仕事論」を述べさせていただいた際、わたしは下記のように表現しました。
でももし、神様から受け継いだ神事を、嫌な顔をして行っているとしたら……? 結果として、周囲にイライラを振りまいているとしたら……?
それが仮にお金になっていたとしても「仕事」ではないと、わたしには感じられます。
たとえ多くのお金になっていなかったとしても、神聖な気持ちで向かう事ができ、周りの人に繋がる行為なら、わたしはそれを「仕事」だと感じるでしょう。
これって、「相手への思いやりがあるか、どうか?」へと言い換えられるなあって思うのです。
「思いやり」は「押しつける」ものじゃない。
「思いやり」って、
「押しつけ」じゃないのですよね
「おざなり」でもない。
「真心から」出てきたもので
「下心から」じゃない。
相手によって、程度や角度や強弱を調整させられるようなイメージ(たとえば、料理人がその日の温度や湿度、素材に応じて塩加減を調整するような)
思いやりがある人の「仕事」は、
- 相手がどんな状態かを見て、それに合わせて最良の結果を目指すだろうし
- たとえば Webサイトなら、相手を想像して読みやすさや伝わりやすさを工夫するだろうし
- ずっと同じサービスのままでは我慢できず、グレードアップしていくだろうし
- たとえ求められたとしても、最適でなければ提供をしないだろうし
- トラブルが起きたとき相手を責めるのではなく、どうするかを考えるだろうし
- 相手が理解してくれないなら、どうやって説明したら分かるかを意識するだろうし
- 必要であれば、自分が離れることもいとわないだろうし、相手の行動を信じるだろうし・・・
いくらでも細かく描写すると、出てきちゃいますが。笑
細胞が喜びで震えるような出会い
以前、とある小さなカフェに寄って、(なんにも期待せずに)ウインナーコーヒーを頼んだところ。
ものすご〜く丁寧に、しかしムダなく、そして美しい所作で、適切な時間をかけ淹れられていくのです。これを眺めているだけで「お金を支払った価値があるくらいだなあ」なんて思っていたら
「……えっ、なんですか、これ!!」
と叫びたくなるような、細胞が喜びで震えるような美味しさ。
翌日になっても、彼と
「あのウインナーコーヒーは何だったんだ……」
と話してしまうくらい、思い出すだけで幸せになっちゃうくらいの驚きの体験をしました
あんなクオリティのカフェがあるなんて……。(ちなみに、食べログに載ってませんでした)あれぞ神事。(わたしにとっては)
まだまだですけど、わたしもあのような、美味しすぎて世界がひっくり返るような、そんな仕事をしていきたいなと思います。
「あなたが大切なこと」を「あなたが大切な人」へ届けることが最初
わたしは、大切な人に、大切なことをお届けしたいと思うとき、いちばん「思いやり」パワーが込められるなあと感じるんです。
ターゲティング、とか、お客さんを絞って、とかじゃなく。
あなたにとって大切な人は誰ですか?
あなたが大切なことを丁寧に届けたい人は誰ですか?
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