
「わたし」って、どんな個性を持ってるんだろう?
「わたし」にしか出来ないことってあるのかな。あるなら、どんなことだろう?
そんな疑問を持ったことはありませんか?

本当に「魂」があるなら、魂は何を求めているんだろう?
わたしの魂は今のわたしや、わたしの人生を、どう思うのかしら
わたしの魂が心から求めてる、
「今のわたし」が分かっていない、もっともっと喜びいっぱいの何か、ある気がする。
もし、そうだったら「わたしの持つ可能性」を知りたい。それを生かしてみたい。
できるか分からないけれど、「わたし」を100%、生ききってみたい。
そんなわたしで、
「その生き方を選んだ人たち」とたくさん出会えたら、いいなぁ。
おたがいを生かし合える関係性で、
新しいものが生み出されていく場に、わたしの身を置けたら幸せだな。

どんな世界なんだろう。どんな色が、意見があるのかな。
それらが重なって、どんな会話やアイディアが生まれるんだろう。
きっと、今のわたしには想像もできないんだろうな〜
わたしは、そんなことを思って、
生きてきました。
ここ coha design は、
そんなあなたのための場です。
あなたの“魂”を自由にする。クリスタライズ・シップ
あなたを丸ごと生かし、個性を表現する
創造的に、自由に生きていく
生きるほど楽しく、明るい未来を予感する
そんな意識調律、エネルギーを届けます
あなたをクリスライズする「coha design」は、こんな場所
お気に入りの本を読むように、
あるいはわたし(コハ)と、会って話しているかのように。
住んでいるエリア、あなたが持つ属性、肩書き、外見、年齢、あらゆる数字からフリー。
どんな「地球星人」もウェルカムの宇宙船です🛸🛸
だけど唯一、
過去からの思い込み。
だれかに貼り付けられた呪い。
重くべたべたしたホコリのような念。
もう古い、あるいは誤った知識たち。
そんな、あなたの健やかな回転を妨げるモノがあったら、容赦なくバっキバキに壊すサイトでもあります。
“魂の自由”とは霊的尊厳、霊的人権のこと
とつぜんですが、わたしたちが生まれつき保有する「人権」!
人間の生存にとって欠くことのできない権利および自由と表現される、めちゃくちゃ大事なものがあります。
では、わたしたちは、どんな権利と自由を持っているのでしょう。

そう言われると、なんだか思いつかない人も多いのでは?
憲法上では「自由権」「平等権」「社会権」、あるいは「参政権」などが当てはまるようです。この言葉の意味、むか〜し習ったかもだけど、うろ覚え……そんな人が多い気がします。
その権利と自由には「健康」も含まれると提唱するWHO(世界保健機関)が掲げた定義によるならば:
“Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.”
「健康とは、身体的、精神的、社会的に完全に良好な状態であり、単に病気や虚弱がない状態を指すのではない。」
「健康」とは、ただ痛みや病気が無いことではなく、肉体的、精神的、社会的なすべてが満たされた状態だとされています。
理想的ですが、果たしてこれを享受できている人は、いま生きる人口の何割でしょうか……。

ここから考えると、わたしたちはその3レイヤーとも満たされた状態が、人権=「権利と自由」に含まれているはずです。
ところで。
一部でとっても熱かったトピック……「あのWHOですら、霊的な健康を認めた!」という論議を目にした方も多いかもしれません。
遡ること、1998年。先ほどご紹介した3つのレイヤーだけでなく、「Spiritual(霊的)」も加えるべきという改定案が出たことが発端でした。
……なのですが。話し合いの末、採択とはならず見送りになったそうで、現WHOの文章には今も「霊的な健康」は、記載されていません。
つまり、わたしたちは現在「霊的な健康=人権」を認められていないのです🤔
わたしが思う「魂」は、霊的な自分のこと
そもそも、「霊性」って、ナニ?? 「魂」って……??

テレビで騒がれた、新興宗教に霊媒師、最近流行りの「風の時代」……占いってカンジ??
一般的には、そんな印象かもしれません。詳しくは、こちらの深掘り記事をお読みいただけると嬉しいです💃
クリスタライズ――“意識の3層”について
では、どうやって「霊的な健康」を守るのか。どうやって、“霊的な自由と権利”を持てばいいのか。それを保ちながら、人や世界と関わればいいのか――。
話が飛躍するように思われるかもしれませんが、
あなたが居心地悪い、不快を感じているのは、あなたの霊的世界にとっては壊滅的な危機状況です。まずはそこを回復しないと、なにも始まらない、始められません。
自分と仲良くなればなるほど、他者とのパートナーシップは(まるで勝手に)始まります。
だから、この人生を「わたし」で生まれ、生きていく中で、もっとも大事なことというのは。
まず何よりも、自分自身との、肉体・精神・霊的な分離をなくすこと。
まっすぐ、力強く、しなやかに、いつも自分でいることだと思うのです。
そして、さらに重要なのは、
一瞬だけ・一日だけ戻るのではなく、日々そこに集中すること!!
……だと思うんです。
わたしはミクロでもマクロでも、より良い人生やより良い世界を目指すなら、ほんとうに「自分でいること」に尽きると思っています。
- 今日1日のなかで、何時間ハッキリと自分自身で在れたか観る自分を持つ
- (もしズレてしまったなら)一体、何によって、わたしは自分じゃなくなったか確認する
- 毎日、毎年、すこしずつ「自分である!」その時間を増やすようにする
- または時間が短かったとしても、冴え冴えとその集中力を高めていく
揺れたら気づいてゼロに戻す。自分で自分に戻せる・戻れる方法を増やしていく。③のわたし自身にいると決める。
そこにいるんです。

どういうとき、自分は肉体・精神・霊的に分離しているのか?
どういうとき、自分が一致できているのか?
今目の前にいて会話している相手は、分離しているのかどうかを判断したい
……その見極めるに使えるのが、意識の3層レイヤーです。
意識の3層レイヤー解説
①トップ、あるいは被害者になりたがる
幼稚。搾取。ヒエラルキー。勝ちたい、負かしたい、見返したい、人を信じられない。トラブルが起きたら言い訳したり事実改変したりと逃げる。母性愛を求める。
②救世主、あるいは信者になりたがる
依存。見栄。人目が気になる。好かれたい、人気を得たい、努力なしですぐ望むものを所有したい。精査しない。都合のいい話が好き。父性愛を求める。
③素直に、自分で在ろうとする
矛盾を受け入れ、能動的に未来を創ろうとする。感情に引っ張られない。自分=全体のもと良くなりたい。厳しさや痛みからも育んでいける。陰陽統合。
▼ひとつの言動だけで決まるのではなく、例えば人との衝突が起きた時、顕著にその人の主な意識が現れるように思います。
①「攻撃的」になる。
加害者 or 被害者になり、自分が求める結果へ誘導する、損をしたくない。
②「批判的」になる。
言いくるめたり理論武装、または話し合いを拒絶する、変わりたくない。
③「受け入れる」。
現実を見て折り合いできる位置を探したり、自ら考える、あるいは断ち切る。
①や②がダメ! という短絡的な姿勢ではなくて、
すべて必要だし、どう使うか次第だと受け入れている。
だから相手も受け入れられるし、心地よさからコミュニケーションを交わせる。心地よい自分に通ずる情報も出会いも増える。
安心から③を考えてみよう、とする。
誰でも程度の差はあれど、①②③を行き来しています
痛いところを突かれると、だれでも、反射的に①か②へ意識が移動しやすいものです。
何かの拍子に、ヒュッと居心地悪くなる……自分が変なところへ移動してしまう……そんな感じ、覚えがありませんか?
ぼーっとして、体から離脱してしまい、変なことをしでかしたり、体調が悪くなっちゃう。
瞬間的に他者にばかり意識が行って、相手の機嫌をとるために動いて後悔する……

人間の重大な誤りの一つで、しかも覚えておかなければならないのは、〈私〉に対する錯覚だ。
我々の知っている人間、つまり〈人間機械〉、〈為す〉ことのできない人間、すべてが〈偶然起こる〉ような人間、このような人間は永続的な単一の〈私〉をもつことはできない。

彼の〈私〉は、彼の思考や感情、気分などと同じようにすばやく変わり、それゆえ彼は、自分を常に全く同一の人間であると考えることにおいて非常なまちがいを犯している。彼は、常に違った人間であり、一瞬前の彼ではないのだ。

しかし、自分自身や自分の思考の表現、意識、活動――自分の癖、欲望等々――を研究することによって、人は3つの力の働きを自分の内に見、観察することができるようになるかもしれない。(『奇跡を求めて』)
心地よい自然なルートなら続くし・発展する。変わらない…じゃなく、変わっちゃう
もっとラクに、ゆるい気持ちで、歌っちゃうような軽やかさで、「変わる」じゃなくて「変わっちゃった」方が早いと思うんです。
③と③の人が掛け合わさったときのコミュニケーションったら、ないんです! 比べ物になりません。ぜひ一度、それを味わってみてほしい。
一度それを体感したら、今まで甘んじていた環境や人間関係、マジでもう要らない❗って思えます。
ウンザリできるし、未練なく「じゃあこうしよう」と変われます。心地いいもの、自分にとって上質なもの(本当のもの)に身を浸してしまうと、話が早いんです。
そして、③の世界の「心地よい」は、たがいをベタベタと褒め合う会話って意味じゃないんです。
子供だましの表層的な「気持ちよさ」ではありません。
ときにスパイシーな、耳に痛い話だろうなと思うことも、たがいに交わし合える。本質から意味を受け取り合える。尊重しあえる。たがいに成熟していける。
だから、相手のことも、自分のことも、より一層・誇らしく思える。そんな信頼が薄くも確かに積み重なっていく……そんな世界です。今までの自分では観測しづらかっただけで(分かりやすく評価されづらいし、計測できないし)、そっちへ意識を合わせれば世界は変わります。
そして、わたし自身が③の意識をもっともっと強く、しなやかに育みたいって思っています。一見、世の中には・特にネット世界では、あまりお見かけしないからこそ。
そして、③の意識状態の大切さを心から感じ、分かってくださっている方々に向けて、
ここなら安心してほどけるぞーーーとか、
まっすぐ③の意識に調律できる♪ といった楽しさから、自分を、もっと知れるように。
そして③の人たちと会話できる!! そんな喜びを感じてもらえたら。
それが、このサイトの存在理由であり、わたしが込めている意図になります。
coha design における「デザイン」の定義
私が思う、デザインとは
商品(サービス)を求めている方に分かりやすく・見つけやすく・より早く魅力が伝わるコミュニケーション手段
です。
そして、コミュニケーションというのは「自己アピール」を披露する場であり、同時に「他者アピール」を受け取る場だと思うんです。
人はもちろん、モノではないんだけど……
例としては、自分を商品やサービスとして観測すると、想像しやすいのではないでしょうか。
- わたしは、あなたに悪意はありません。
- あなたに害を与えることはありません。
- あなたの存在を認識しています。
- あなたとコミュニケートする意思があります。
「挨拶を交わす」のって、こういった意味合いを含んでいると思います。そこから質問したり、言葉を投げかけることは
- わたしは、あなたに関心があります。
- あなたのことを知りたいです。
- わたしはこう考えます。
- わたしはあなたの考え方を、こう感じました。
こんな主張を相手にプレゼンテーションする感じかな。これを行き交いすることで、
- わたしは、あなたに好意を持っています。
- この部分に興味を持っています。
- ここは一致しないですね。
- わたしは、あなたとこんなことをしていきたいです。
段々と、自分の願いや期待を伝えていくフェーズに。近づきたいところと、離れたいところを互いに見極めていくことで、その時その時ジャストの位置を探っていくための方法。
「あなた」と「あなた」のための。
より円滑で、ストレスフリーの、明晰なコミュニケーション、美しい世界に活用いただけたら、嬉しいです。
dona nobis pacem.