クリスタライズ(結晶化)している人と、そうでない人との違い
coha design で掲げている、あなたをクリスタライズするとは、こんな状態を指しています。
- 「大好きな事、もの、人間関係」が満ちて溢れる人生を歩む
- 自然とやる気が湧き、美しく本質的だと感じる仕事を為す
- 素直に愛を伝えられる、素直な愛を受け取れる自分が在る
- 魔法みたいな出会いが増え、加速度的かつ円滑に物事が運ぶ
- 自分と関わる人とに発見、浄化、深い癒やしを交わし合える
さらに文章にすると、このようになります。
第3の視点(魂視点)を生み出せる。
その本来の自分が世界に共鳴する(世界を観ている)結果、バラエティ豊かで個性ある、なにかしらのエキスパートとなった友人たちがいる。
「世界観」と聴いて、どんなイメージが浮かびますか?
「世界観」……一般的に用いられる意味合いとしては、
「その人や、商品、ブランドが持つ“雰囲気”とか“設定”」そんなトーンで(ゲームやアニメ、エンタメ、ビジネス界隈などで)使われているように思います。
ですが。
わたしが掲げている「世界観」はそういった表層のものではありません。
「その人や、商品、ブランドが持つ“雰囲気”とか“設定”を常に生み出し続けている、そのひとだけの源泉(World View=世界の見方。視点)」を、意味しています。
それをもっと具体的に落として言葉にするなら……
あなたオリジナルの人生哲学。
何を是として、何は遮断するのか。
あなたの「個」を表す、外周。境目。キワキワの境界線。
自分で理解し、受け入れているほど、世界は優しく、ゆるゆる、ラクラク、自分のままで漕いでいけるようになります。
それでは独りよがりになってしまわない?
他者と関わることも、お金をいただくことも、出来ないんじゃない?
そう思う方もいらっしゃるかもしれません。
自分の「個」を知って活かすためには、“自分好み”だけでは、先に進めない時が訪れます。
どうしてかというと、「自分」が居るのは「他者」が存在するからです。
たとえば、たった今、地上に「わたし」しか居なかったら……? その時点で、「他者」という言葉は(指す対象がいなくなったので)意味がなくなります。そして同時に、「自分」という言葉も存在しなくなるんです。
さらに深く、本質的に、立体的に「自分」を知るためには、「他者」という対象物が無いと見つけることが出来ないのです。
だから結局のところ……
真剣に「自分の個」を活かそうとすればするほど、「他者の個」を活かそうとすることにも通じるんです。
(面白くも悲しいことに、ここで「自分」を後回しにして「他者」から始めると、なぜか自分を殺し、他者も殺すような、おかしいことになっちゃいます……)
自分に好ましく、そして他者にも望ましいこと――そんな「2元」を越えた「第3のアイディア」を生み出すこと――が、まるで奇跡みたいなパラドックス(転換)を生み出します。
自分のためなのに、相手のためにもなる行為。
相手のためなのに、自分のためにもなってしまう。
物質的に眺めたら、とっても不思議な現象ですよね。
与えたら減るはずなのに? 自分勝手なはずなのに? 思うことを伝えただけなのに? よりよいと思うアイディアを受け取ってくれて、自分も喜ばしく、相手も喜んでくれる、互いにパワーアップしてしまう……そんな現象が起こってきます。
競争とか、比較とか、ヒエラルキーとはまったく違った世界観。
本来のパートナーシップを(恋愛でなく、友情であれ)築き、育んでいる人は、この感覚をきっと理解いただけると思います。
世界(他者)と自分との関わり方のバランス(仕事)。
これまでの体験、コミュニケーションで培ってきた成熟度合い。
理解できない事象への開き具合、自分以外への想像力、共感力。
卓越したコミュニケーションを交わせる人というのは、支配的な独裁者ではありません。
自分も、相手も、深く理解しているからこそ生み出せる関わりが、新しい世界(希望、未来への展望)を描いていくための扉になると、わたしは考えています。
こうした状態に在ることを、クリスタライズ(結晶化)すると呼んでいます。
世界観とは、世界の意味を問うもので、たとえば「この世界は私にとってどんな意味があるのか」「この世界で私はどのような役割を果たしてゆくことが期待されているのか」「世界の中で人間はいかなる役割を果たせば意味があるのか」などの問いに答えようとするものである。したがって、世界観とは、世界に対する態度およびその表明であるとみなすこともでき、人生観や実際の生き方と結びついている。さらに「世界観」を背景にして、「理想」や「善」などの意志的側面、行動原則など実践の指針が与えられる。
dona nobis pacem.