▼前編の続きです。
月星座は幸運と読み解く Keikoさんと、引き寄せカルチャーについて眺めてきました。
続いて、そこへ反論する立ち位置のような、月星座は欠損であると発言している、マドモアゼル・愛さんについて見ていきたいと思います。
マドモアゼル・愛さんについて
「月の欠損」がブームになったマドモアゼル・愛さん。
2021年には『月の教科書 占星術が誤解していた、この星の真相』というタイトルで、アネモネより本にもなりました。Amazonレビューは410件で★4.3(2023年11月時点)。
私は「月星座」を重要視しています。
なぜなら、持って生まれた才能、能力、センスを示す「月星座」こそが、人生を思い通りにクリエイトするカギだから。
「月」が与えるものは、見せかけと虚構。しかし、その真実を誰も知らない―。月こそ、あなたの生きづらさ、むなしさの正体。月の影響を知らずに生きると、必ずや苦しい生涯になります。
見事に、真逆ですね。
マドモアゼル・愛さんによる「月星座」の解釈
最初に「月の欠損」について、愛さんが書かれたであろう記事では、以下のような文章が綴られていました。
一般の占星術の月の解釈は、そうではなく、月の星座に示されている内容を前向きに受け取ろうとします。
月は個性であり、月の示す能力についても肯定的です。
前編で見てきたように、なかでも Keikoさんの解釈はその最たるものだと思います。
私の解釈は、それとは真逆で、月は幻想であり、月が示す個性は仮につくられたものでしかなく、月が示す才能もない、というかなり極端なものです。
そのため、月が示す自分像は偽りであり、月が示す才能を発揮しようとしても、それはまったくうまくいかない、、、と考えます。
伝統的な占星術においても、月のキーワードは「死」であり、「反射と吸収」「模倣」「過去」「記憶と感情」とあります。
私の言うことが正しいとは言いせんが(※原文ママ)、月が死の星であり、過去の星であり、エネルギーを根こそぎ奪う星であると分かった時点で、黙ってはいられなくなったのです。
(中略)とはいえ、多くの占星術師が語る月の前向きな思いは、私もかつてはそのように判断していたわけで、否定はいたしません。色々な解釈があって当然です。
また多くの占星術師の皆さまの中には、従来の月と私が語る月の内容をうまく理想的にまとめてくださる方が、いずれ出てくると信じております。
ただ今の時点では、私の月についての真逆の解釈は、占星術師の先生方や多くの月ファンの皆さまに、多少乱暴な印象を与えかねない点があり、それについては、ご容赦いただけたらと思います。
そして現在の月解釈をさらに深める意味で、私の月理論を感情的に押しやるのではなく、きちんと目を通していただけたらと願っております。
日本の最初の天文歴、「エフェメリスオブジャパン」を世に出し、その天文歴によって数多くの占星術師の皆様が学ばれたという経緯もあります。また、高齢の占星術師であるということも加味され、愛先生が何かうるさいことを言ってるよ、、、というご視点で構いませんので、どうぞ新しい月解釈に目を通していただけたらと願う次第です。
※この記事で引用しているマドモアゼル・愛さん記事の装飾、強調はすべて著者によるものです。
ここまで、どんなことを感じられますか?
わたしは、「絶対に欠損だ」と言い切るのではなく、
かなり慎重に、
「こういった考え方もあるのではないか?」
「わたしのこれまでの経歴を踏まえて、ひとつ受け入れてみませんか?」といった姿勢で導入されているように感じました。
……ですが。
ここから怒涛の「ない!」「ない!」「ない!」、欠損のオンパレードが始まります。
月の星座の見方
月の星座が示すものが、その人には無い、、、、これが公式です。無いのです。影だからです。実体は無いけど、常に影を見せる眼鏡をかけていますので、影についてのそのことばかりを人は考えたりして、支配されるようになります。
人間の常日頃の考えや感じ方の7割程度は出生時の月が決めています。それだけたくさんの時間と労力を使いつつも、それは影なので、そこからは何ひとつ、具体的で良いことは起こりません。月を知ることが、月の働きを知ることで、私たちは自分の本当の人生を取り戻さなくてはならないのです。
この前置きの上で、
牡羊座であれば「我がない」
自分の感覚がない。手ごたえがない。
牡牛座であれば「所有がない」
自分の物を何ひとつ持っていない。
双子座であれば「思考がない」
考えることができないし、分からない。
……と、こんな具合に、すべてを反転させていきます。
“出来る・出来ない”どころか、その素質がまるっきり無いです。手を出すだけムダ! と言い切られていくという。
これがまぁ、センセーショナルだし、とてもショッキングだしで、読み進めるうち「ガーン…」と来る人が多かったのではないでしょうか。
マドモアゼル・愛さんの人生ヒストリーと「月星座」
わたしは、これまでのマドモアゼル・愛さんの発信に詳しくありません。
知っているのは、テレフォン人生相談に出演なさっていたこと、周波数に関心が強く特製のチューナーを売られていること、競馬がとてもお好き(だった?)らしいことくらいです。
……で、ここからは揚げ足取りのようですが。
マドモアゼル・愛さんのこれまでをまとめられたインタビューを読んでいると、わたしには、太陽の「水瓶座(革命的、既存の常識を壊すこと)」だけではなく、月の「牡羊座(直観のままに動く、トップバッター)」の要素も、強く感じられます。
ネットで出まわっている出生情報が正しければ、ご自身が「牡羊座」にお持ちなのは、月とドラゴンヘッド。天体は「月のみ」です。
大学を卒業したあともこのバイトを続けることになります。星占いの館シグマは無事にスタートして、私は初代館長も務めました。
―― 第1回・占い師「マドモアゼル・愛」誕生までの軌跡|LittleLight
(※ドメインでSSLが取得されておらずエラーが出ます)
また、欠損説で言えば、月星座「牡羊座」は「自己主張ができない人」だそうですが……
80年代後半に日本初の占星天文暦『エフェメリス・オブ・ジャパン』を出版しました。
(中略)エフェメリスに関しては、「売れる売れない」の話ではないと私は考えていました。
それは、日本の占星術の正当性に関わることです。 占星術の信頼性を保つには、その国の時間に基準を合わせたエフェメリスがあるかどうかが重要だと思います。 日本国内で占星術をする当たり前の環境が整っていない、それを変えたかったのです。 それで、日本でエフェメリスを出版する意義を社長に直談判しました。
社長に直談判され、実際に出版するまで漕ぎつけられています。
そして、天文歴だけではなく、電話占いサービスも自分が最初に始めたものだ、という話が出てきます。
ダイヤルQ2を知らないという人もいるかもしれませんね。ダイヤルQ2とは、特定の番号に電話することでユーザーの欲しい情報を得られるという有料情報サービスです。
このサービスを知ってすぐに「ダイヤルQ2で占いをやりたい」と思いました。当時はまだ、携帯電話すらも普及していない時代です。(中略)そんな時代に自宅から電話で占いができるというサービスは絶対に流行るという確信があったからです。
ところが、なかなかそういったサービスを提供してくれる企業が見つかりません。新しいことだったので、まだ具体的なイメージを持てる人が多くはなかったのだと思います。「絶対にいける!」と思っていたのは私だけという状況でしたが、諦めずに探した結果、サービスを提供してくれる企業を見つけました。
1990年1月、いよいよダイヤルQ2向け音声占いサービス「プシュケー」がスタートしました。サービスが開始した日のことは今でも覚えています。(中略)「7000本以上の電話が入っています」と第一報を受けました。この瞬間、当たったなと確信しました。
初代館長、日本初の天文歴出版、電話占いサービスの開拓。まさに先駆けの“牡羊座”って感じがします。安直でしょうか?
そして、なぜ占星術師である愛さんが、「テレフォン人生相談パーソナリティ」に起用されたのか? の理由には、大和出版から編集者のプッシュによって、1993年に出版した本、『自分を愛することから始めよう―あなたはあなたのままでいい』の存在があったと語られます。
……ちなみに、先述したKeikoさん、最初の頃は「大和出版」のオンパレードです。面白い共通点だなと感じます。
編集者の熱意に押される形で執筆しました。正直なところ、話をいただいたときも出版まで辿り着いたときもそんなに売れる本になるとは思っていなかったのです。
(中略)最終的にこの本は、20万部を超えるヒットを記録しました。その後、同じジャンルの本を数冊出したころにニッポン放送からテレフォン人生相談のパーソナリティの話をいただいたのです。こうやって声をかけていただいた理由は、私の本が当時はまだ埋もれていた心の問題に光を当てたからだと思っています。
(中略)悩みを抱える女性は存在しているのに社会の中に浮かび上がっていなかった、そんな分野にスポットを当て、道を拓くことができました。
―― 第2回・挑戦に次ぐ挑戦、新たな地平を切り開いた90年代|LittleLight
(※ドメインでSSLが取得されておらずエラーが出ます)
「月星座」は欠損しているのではなくて、育てる必要があるとか、自動運転だと未熟なままだとか、そういった表現の方が適切なのじゃないかな、と感じます。
マドモアゼル・愛さんに強い影響を与えた、加藤諦三さん
ここで視点を変え、マドモアゼル・愛さんと「テレフォン人生相談」との関係性で眺めると、同番組のパーソナリティとしても有名な「加藤諦三さん」が、キーパーソンに挙がります。
なぜなら、Wikipedia によればですが、愛さんが若くノイローゼで苦しんでいた頃に、テレフォン人生相談をとおして加藤諦三さんの本と出会い、大きな影響を与えられたとあるからです。
ニッポン放送「テレフォン人生相談」では、“心についてのエッセイスト”の肩書でアドバイザーを担当している。
若いころにひどいノイローゼに悩んでいたころ、同じ番組で出演している加藤諦三の本に出会い、救われた。
そして、月星座ブームが起きた後(2年前)も、マドモアゼル・愛さんと加藤諦三さんの関わりが見受けられます。加藤諦三さんの Wikipedia を見ると、
2021年9月22日には、マドモアゼル・愛公式YouTubeに愛とともに登場し、生ライブ配信を行った
マドモアゼル・愛さんにとっては親密というか、関係性が深い方なのではないでしょうか。
では、加藤さんはどんな思想や、価値観をお持ちの人なのでしょう。どういった点で、マドモアゼル・愛さんに響いたのでしょうか。
ところで、加藤さんは現在、668冊も著書を出していらっしゃるそうです。筆者は、それらをすべて読んだ訳ではなく、とても加藤さんの思想を包括的に眺めることは出来ていないかと思われますが、
ぱっと浮かぶイメージでは、ときに親を否定することも厭わないような……昔の表現をするならアダルト・チルドレン的な印象を持っています。
だから、“親は絶対に敬うべし”という儒教っぽい圧力が、ことさらに強かった時代の日本に、反対意見を持ち込んだ人なのかな、と想像しています。「親を大事に!」という価値観の強い方が、この人の名前が出た瞬間、苦く険しい表情になるのを見たことがあります。かなり嫌われてもいる方なのかな……?
手元で確認できる、加藤諦三さんの著書『自分に気づく心理学』には、こんな描写が出てきます。
あなたがわがままを言って誰か受け入れてくれたであろうか。
子供の本性はわがままなのである。
それなのにあなたは一切のわがままを自分に禁じた。それは周囲の人が禁じたからである。それを禁じなければあなたは拒否されたからである。(中略)甘えの欲求を満たされず、それを放棄するように強制された人は、親に受け入れられなかった人である。それによって自分のアイデンティティーは不確かなものになり、後々までもつづく自己不適格感のもとになった。
―― 『自分に気づく心理学』加藤諦三著(装飾、強調は著者による)
今回の文脈で置き換えると、「あなたの月を誰か受け入れてくれたか?」
それをわたしたちは満たされなかった、押さえつけられた。と書かれているように思います。だから、読者は自己肯定感や、自己受容の土台が壊されたまま生きている状態になってしまったんだ、という意味合いに感じられます。
すべての子供が、この父親のえじきになるのではなく、一番おいしいエサが、食い尽くされるのである。手のかからない素直な良い子でノイローゼになった子が、このえじきである。
極端な場合には自殺する。
すると父親は何と言うか。「全く思いあたることがない」。そして世間の人のなかには「あまりいい環境で育つと、抵抗力がないのかしら」とさえ言う人がいる。私はこのようなケースに何度かであっている。職業がら普通の人よりはそのような機会に接することが多い。そのような時「全く思いあたることがない」という家族に、「あの子を殺したのはお前達だ」と叫びたくなる。しかしこの言葉は決して理解されないものだけに、心の中で手を合わせるしかない。
―― 『自分に気づく心理学』加藤諦三著(装飾、強調は著者による)
親自身も甘えを抑圧し、神経症的状態にあり、その親から自覚なく餌食にされるのが「手のかからない素直な良い子」である。依存心と愛情とは時に錯覚されるものだと述べられています。
実際、加藤さん自身が父親の顔色や機嫌を伺う関係性にあり、大人になっても人とそれを続けていて、疲れてしまったと記述されています。
言行の立派な人で神経症になってしまう人は、自分の中の幼児性にまけた人である。
あまりにもそれが満たされなかったのであろう。そして本人もその自分の中の幼児性から眼をそむけたために処理しそこなったのである。社会的に立派に活躍している人が、五歳の男の子と同じようなことで不満になったりするというのは考えにくいが、実際そうなのである。
甘えの欲求は満たされずに抑圧されれば、その人を死ぬまで支配しつづける。六歳の孫を持ったおじいさんも同じである。
それらの人は心の葛藤に苦しみつつ、他人の甘えに批判的になる。
子供や孫の甘えを許さない。「そんなことはどうだっていいことだ」と激しく子供を責める。そうした点で心に葛藤のある人は他人の心を理解することはできない。(中略)他人の心の痛みを無視して、平気で他人を傷つけられる人である。そして他人を深く傷つけながらも、そのことに気づいてすらいない人である。
あなたは自分の何を他人に隠そうとしているのか。
あなたは自分の何が他人に知られることを恐れているのか。あなたは心の底で自分に自信がないことを知っている。
心の底で自分に失望している。しかしそのことを他人に知られたくない。そのことを他人に知られたくないから、他人にはいかにも自信がある「ふり」をする。(中略)神経症気味の人というのは、自分の心の葛藤に気をうばわれているから、他人の気持を理解する能力がない。
(中略)自分中心に世界がまわっているものの悲劇である。
他人の気持を理解しようということより、他人にどう印象づけるかということにばかり気がいってしまう。
私達の心の中には、内面化した親から、消化されない幼児までいろいろのものがある。そうした自分に気づいて、そのなかから自分を育てあげていく努力をすることが大切なのである。
―― 『自分に気づく心理学』加藤諦三著(装飾、強調は著者による)
わたしは、一連の表現が、「月の欠損」を振りかざし、人を傷つけていることに無自覚な人たちへ、そのまま当てはめられるように感じます。
もしかしたら、欠損だけでなく、あらゆるスピリチュアル・ハラスメントに言えるかもしれません。パワハラやモラハラもそうかもしれません。
その幼児性に気づき、(相手にぶつけるのではなく)自ら育てていくことが大切という結論に深く同意します。
わたしは、親に認めてもらえなかった怒りや悔しさを、“月”にぶつけているのでは?
「親との関係性」で比較すると、Keikoさんはインタビューによれば、
大切なものに優先順位をつけるとしたら、迷いなく両親がいちばんなんです。父が大病に倒れたときも、好きな人をおいてすぐに帰国したくらいですから
……と話されています。
つまり、加藤さんの本が響く読者と、Keikoさんでは、「両親との関係性、感じ方」も真逆だと言えそうです。
だとすると、「月星座は幸運説」を率先して手に取る人と、「月星座は欠損説」がしっくり来る人の違いは、本人と親との関係性からも整理できるように感じます。
もしそうなら、ここからも「月星座」が意味し、象徴するものは親との関係性であったり、小さい頃に学習してきた心理的パターンである、という実証にもなりそう。
マドモアゼル・愛さんが若い時分、“ノイローゼから救われた”というのは、一体どの本か分かりませんが、加藤さんの著作一覧を見ると、もっとも古い本は『あやまちだらけの青春(朝日新聞社)』1964年。
なんと熱く、青いタイトルでしょう! 出版時点では、マドモアゼル・愛さんが14歳の頃ですね。
続いて『俺には俺の生き方がある(大和書房)』1965年。
ここから3〜7冊目までは『生きる』『もういちど生きなおそう』『俺はいま何かしなければ』『生きてゆくのは俺たちだ』『人生の名言』というタイトルで、すべて大和書房でした。
あれっと思い調べてみると、前編で見てきた「Keikoさん初著書から、月星座特化まで」の本たちと、「マドモアゼル・愛さんの転機となった、女性向け心理本」を出した「大和出版」と、加藤諦三さんの初期本を多く出版した「大和書房」は、もとは同じ会社のようです。
1972年8月1日、大和書房内に大和出版販売株式会社設立準備室が設けられ、大和出版が発足。その後 1997年 東京都文京音羽に現本社ビルに移転。大和書房とは現在も共同で物流センターを所有するなどの関係がある。
蛇足かもしれませんが、とても面白い共通点、縁ある方々なのだなーと感じました。
その後は『若者として国家を考える』『やり抜くために俺がいる』『体当たり人生論
……『ああ青春』『わが内なる革命と青春』『人間であることの原点』……
なんとも熱い、ほとばしるパワーが感じられるタイトルが続きます。
加藤さんのホロスコープを出すと(1938年1月26日、東京のお生まれ)太陽は「水瓶座」で、早朝でも深夜のお生まれでも、月は「射手座」にありそうです。
作家で、社会心理学者で、早稲田名誉教授、ハーバード大研究所研究員でもあったとのことですが、“月の欠損”で言うなら「理解できない射手座、物事を理解できない人」と言われるのでしょうか?
以上で、「月星座」をもとに両極なお2人を見てきました。
他の占星術師による「月星座」の解釈は?
とても極端な解釈を見てきたので、最後に、他の占星術師によると「月星座」はどんな表現になるのか見ていきたいと思います。
鏡リュウジさんが解釈する「月星座」
星占いを本で読んでみよう! と思ったら、鏡リュウジさんは触れることになる占星術師のひとりだと想像します。ベストセラーになった「12星座の君へシリーズ」、最近ではそのブラッシュアップ版も出ていて、お持ちの方も多いのでは。
鏡リュウジさん
1968年、京都生まれ。心理占星術研究家・翻訳家。国際基督教大学卒業、同大学院修士課程修了(比較文化)。・英国占星術協会会員・日本トランスパーソナル学会理事・平安女学院大学客員教授・京都文教大学客員教授
公式サイトにて、2020年、改めて月星座について語られている記事がありました。
最近、「月星座」についてよく聞くようになりました。
いわゆる誕生星座は太陽の星座ですが、生まれた時の月の星座もそれと並んで重要であるということが知られてきて嬉しい限りです。ただ、びっくりしたのは月星座が「金運を招く秘訣」といったような解釈まで拡大されていたことでした。いわゆる引き寄せ系の占星術ということでしょう。
まあ、占星術というのは象徴の世界ですから、科学とはちがってそれぞれの占星術家の解釈があっていいのです。とはいえ、あまり伝統的な占星術の解釈から離れるのもなぁ…と感じているのも確かで…もやもやしていたところ、占い編集プロダクションの方から、別の日本の大先輩にあたる占星術家の方が「月星座にこだわるのはよくない」というブログを書かれているということを教えられ、それを見てみました。
それによると、月は太陽の光を反射するだけの、実態のない虚像の星、死の星であり、そこに固執するとエネルギーを失われるとあるのです。あまりにも極端に見解が違っていて、これではノンアストロロジャーの人に「だから占星術って好き勝手にいろいろな人がいろいろなことを言っているだけ」ということになりそうです。
「正直いうとそれは極論でしょう、というところでもあります」とまずは結ばれていますが、そこから、月星座の読み解き方、これまでの占星術界でどう考えられてきたかなどに触れられています。じっくり読みたい方はぜひ。
▼他には、無料診断サイトにて、鏡さんが寄せられている文章が出てきました。
太陽と並び、重要とされるのが「月」。
現代占星術では、太陽星座の次に、まず月の星座を調べます。月はあなたの内面を表し、自分でも意識していない感情の動きを知る手がかりとなるのです。同じ太陽星座であっても、月星座が違えば 運命もおのずと変わってくる
ファッションデザイナーのココ・シャネルは、言わずと知れたブランド「CHANEL」の創業者。自らが獅子座であることを強く意識し、ライオンのモチーフを重用しました。彼女の月星座は魚座。パリのアパルトマンには魚座の象徴のひとつである“占い”にまつわるタロットカードや水晶など、幸運のアイテムが多数残されています。堂々たるシャネルの内側には、神秘を愛する心が宿っていたのです。同じ太陽獅子座であり、月星座が乙女座なのが作家J・K・ローリング。世界中の子どもたちのみならず、大人までも熱狂の渦に巻き込んだ小説「ハリー・ポッター」シリーズの作者である彼女には慈善家の一面が。「献身」や「慈善」といった意味を持つ乙女座らしさがそこに垣間見えるでしょう。
シャネルとハリーポッターを持ってくるという選び方が、まさに“鏡リュウジさん”を物語っていると感じます。一般的な女性が理解しやすい(受け取りやすい)情報をたくさんストックしておられるんだろうなと。
性格診断のために使われる文章なので、何かとの関係性というよりは「自分でも気づかなかった自分を知る手がかり」といった側面で語られています。
【補足】出生日が同じでも、月星座は変わりうる
ちなみに、とーっても初歩的な話になるのですが、友人は知らなかったそうなので、ここで補足として添えておきます。
「月星座」は、同じ日にちでも、出生時間次第では違う星座に変わることが多々あります。
(だから、出生時間を知らないのに、親・友人・芸能人などのホロスコープを出して「◯◯の欠損!!」と決めつけるのは、ヒドイ以前に不正です)
だから、有名人のサンプルを持ち出されたとき、その出生時刻は正しいのか?? 次第で、月星座はとっても危うくなるんです。親に聞いた時間と、母子手帳で違うケースも多いと聞きます。有名人でも、実は出回っていた誕生日は誤情報だったと死後に分かることもあるそうです。
簡単に調べた限りは、ココ・シャネルのホロスコープはかなり正確な情報と言われているようです。ほぼ最高のAAランク。
JKローリングのホロスコープは、ここによればデータに根拠ナシ、とありました。ただ、彼女の出生日が正確なら、早朝でも深夜の生まれでも、月星座は同じサイン(乙女座)にあるようです。
ということで、出ている情報によれば、ふたりの月星座は魚座と乙女座と言えそうです。
ときに書籍でも、誤った情報が書かれているケースがあるそうです。ネット記事は特に何をか言わんやですね。
スピ業界はドル箱なわりに、内容に対するダブルチェック体制(校正)が整っていないものが非常に多いと思います。書いてあることを鵜呑みにせず、受け取るなら「そうなのかな?」と調べた方が無難だと感じます。
では、他の方の「月星座」の解釈に戻ります。
石井ゆかりさんが解釈する「月星座」
わたしの周りでも好きな人が多い、石井ゆかりさんはどうでしょう?
石井ゆかりさん
大学卒業後、独学で星占いを学び、2000年から星占いサイト「筋トレ」を立ち上げた。年間、月間、週間の12星座占いや、新月・満月占い、上半期・下半期の占いなどを雑誌やウェブサイト、携帯コンテンツ等で執筆・担当するほか、星占い以外の分野でも著作を発表している。「12星座シリーズ」は、120万部を突破した。
―― Wikipedia
月星座とは
月星座とは、生まれた瞬間に月が座していた星座をさします。ホロスコープにおいて、月は、感情や肉体、クセ、幼少時のこと、母親などを扱うとされており、自身をより深く理解するのに使われます。
公式 note にて、長めに石井ゆかりさんが月(と太陽)について書かれている記事もありました。
同じ誕生日の相手であっても月星座は違う可能性が高いですし、双子でも、出産に時間がかかれば、二人の月星座が別々になることだってあり得ます。ゆえに、月はより「パーソナルなもの」を扱います。個人差が大きいもの、より「自分」に密着したもの、偏った部分。すなわち、感情や体質、気分、クセ、幼い頃の状況などを司る、とされています。
更に言えば、太陽は父性的なイメージ、月は母性的なイメージを担っています。誰のホロスコープにも太陽と月が描かれるワケですが、私たちは自分がどんな性であろうと、自分の内側に「父なるもの・母なるもの」を持っている、ということになります。
これは、自分の親のイメージと、自分自身が親の立場に立ったときのイメージの両方を含みます。両者は完全一致はしませんが、不可分でもあるものなのでしょう。
太陽と月、というよりは、獅子座と蟹座を眺めている記事のようですが、さらに石井さんワールドへ浸かりたい方はぜひぜひ。
yujiさんが解釈する「月星座」
続いて「風の時代に自分を最適化する」「星2.0」などの、独特な言葉リミックスが効いている yujiさんは……
yujiさん
ヒーラー、星読み係、聖地巡礼家。香川県高松市生まれ。18歳でイタリアに渡り、現地大学院卒業。ミラノにてプロダクトデザイン事務所に勤務するも、ヒーラーとしての宿命に抗えず拠点を東京に移し、ヒーラーとして活動する決心をする。
月星座が〜と言われ始めてだいぶたち、
世間でもだいぶ”月星座”の使い方が浸透してきたよう思う今日この頃。月星座って個人的にどう使っているか、どう生かしているかってたま〜にきかれるので
yuji的月星座論というか、日常生活での活かし方をちょっと書きますね。月星座は月=心の在り処、だと思っているので、
私は超個人的に
”癒されたい時”、”癒しの場所”、”自分だけの場所”に月星座の要素を取り入れる。例えば私は月=牡牛座なので、
ラグジュアリーなところ、クラス感があるところ、
本物を感じるところ、”フェイク”なことがないところ・こと、
伝統的なもの・場所等に触れると癒しを感じます。(中略)月は他の天体たちとちがって、
どんどん磨耗していくところゆえ、
たまにそういうところに行って
エネルギーを”チャージ”してあげる必要があるのです。
なお、この記事は2018年10月投稿なので、「欠損ブーム」が湧き起こる前に書かれたものです。
ネットで「月星座」について書かれている記事がすぐに見つかった、そして出版されていたり、メディアでの認知度が高いであろう方々を御三方、引用してきました。
それぞれの語り口を読んでいく中で、占星術に詳しくない方であっても、フンワリと「月星座ってこういう感じなのかな」「こういうことを表していると読み解くのかな」が、感じられたのではないでしょうか。
「月の欠損」について言及している占星術師の方々
占星術家の中でも、マドモアゼル・愛さんの「月の欠損」に反応する人もいれば、無視を決め込む人も多く(お客さんに質問されるまで「なにそれ?」と知らなかった人もいるかもしれません)、色んな波紋を呼んだように思います。
わたしの知り合いで「月の欠損」にはまり込む人、のめり込む人は、みんなそれまで占星術の勉強をしてきていない人だったと記憶しています。ガチで学んでいる人からは、話題にも出なかったイメージです。
ということで実際に、「月の欠損」に対して占星術師で触れられていた方も紹介します。
まず筆頭が、西洋占星術とインド占星術どちらも用いるリョウさんのツイート(ポスト)でした。最初は出来ていたのですが、該当ツイートの呼び出しが出来なくなってしまったので、該当リンクを貼っておきます。
内容は、マドモアゼル・愛さんが動画で「欠損って言い方が良くなかったのかな」と話していたことを聴かれ、「炎上狙いじゃなく天然でやっていたんですね」「月が牡羊座だから自覚なしにケンカを売るのだろう」……という感想を書かれていました。
そしてリョウさんが「欠損」について談義するスペースを行っていたところへ、返信する形で触れられていた“ねこちゃん先生”こと竹内俊二さんのツイート。
僕も、過去に何回か月欠損論について質問されたことがあります。
しかし、僕は月欠損論に関心が持てなくて、「そういう意見もあるんですねー」という感じです。
なぜ、それほど月欠損論が話題にされるのかが正直よくわからないので、関心がある人に興味津々です。
— ねこちゃん先生/占星術家・竹内俊二 (@soranoiro333) June 28, 2023
個人的には、月のサインの特徴が「欠損」しているように見えるケースは、月のサインの特徴とは対照的な意味の天体が目立ったアスペクトを作っているからではないか、と考えています。
— ねこちゃん先生/占星術家・竹内俊二 (@soranoiro333) June 28, 2023
2018年〜2019年は、マドモアゼル愛先生の月(牡羊座17度)に対してトランジットの冥王星がだいたいスクエアでした。
これが欠損している月っぽいですね。
— ねこちゃん先生/占星術家・竹内俊二 (@soranoiro333) June 28, 2023
また、“占い死ね死ねブログ”で有名な(最近は「超次元占星術」を教えられている)、酒井日香さんのツイートでは、以下のように考察されていました。
たぶんマドモアゼル愛さんの「月の欠損」って、あのおとーさんは陰謀論者だから、多分ネットで月が人工天体だとか、アヌンナキが、とか、アポロ計画がとか読みすぎてしまって、人工天体説を暗にほのめかすために「欠損」なんて捏造妄想を承認欲求で作り上げたのだろう。いい大人なのになんだかなーと。
— 占星術小説作家@酒井日香 (@nichika_sakai) October 22, 2023
月が人工天体ならそれは、地球生命にとって生きやすくするための制御装置なのであり、だったらやっぱり生きている以上、月は我々が安楽に生きられるためのゆりかご、生命の母なのである。欠損、なんてひどい言い方をする必要はない。欠損、なんてひどい言い方するところに性格の悪さが出ている気がする
— 占星術小説作家@酒井日香 (@nichika_sakai) October 22, 2023
マドモアゼル・愛さんの YouTubeチャンネルを見る限り(アカウントが BAN され、新たに作り直されたようです)、直近の動画タイトルでは
……といった雰囲気で、たしかに陰謀論チックな香りがしています。
著書『月の教科書 占星術が誤解していた、この星の真相』では、大本教・教祖の「出口王仁三郎」や、密教と言えば、の「空海(弘法大師)」についても延べられています。かなりそっち系がお好きなように感じられます。
ですが動画のなかには、「何だ! このガス料金は!」というタイトルもあって、面白いというか、チャーミングな感じも……
いくつか動画を視聴してみると、瑞々しく聞きやすいお声だな〜と感じました。
なにせ、あれほど「欠損! ない! ない!」と言い切られるので、もっと攻撃的でトゲトゲとしたイメージを持っていましたが、反して柔和な印象。
そうした受ける印象、語られている半生などを踏まえて俯瞰すると、わたし個人は酒井さんが述べられている見解に近いイメージを持ちました。
……最後に、ほとんどの方が回れ右かもしれませんが、さらに他の占星術師が述べている「月の説明」を、ネット記事だけではなく、書籍からも3つほどご紹介します。
世間にあふれる占星術師は、それはもう星の数いらっしゃいます。
その「図、象徴」が意味していることの噛み砕き方、ひも解き方、商品の作り方、相手への伝え方は「こんなにもトーンが違うんだな〜」ということを、あまり占星術を知らないよーという方に感じてもらえたら嬉しいです。
アリエル・ガットマンさん
ケネス・ジョンソンさんなぜ古代の占星家が月を非常に重視していたのかを理解することは難しくない。
私たちは月が象徴する無意識の感情の織物によって、非常に大きく方向づけられている。しかしながら、多くの占星家たちは、私たちの人生の幼少期と月を関連づけようとしている。そして、私たちは年齢を重ねるにつれて、太陽のサインが象徴していることへ向かって、たとえて言うならば旅をすると述べている。
これは言い換えるなら、私たちは純粋な本能的反応から自分自身を切り離さなければならないということ、また成熟は意識的に運命の目的や意味(太陽)と自分自身をより直接的に結びつけていくことにあるということだ。
――『占星術と神々の物語 ホロスコープの中の元型』アリエル・ガットマン、ケネス・ジョンソン著、伊泉龍一、nico訳(装飾、強調は著者による。共著のため両名を記載しました)
リズ・グリーンさん
月は対照的に(著者注:太陽のこと)、無意識や過去に向かう衝動、自己意識に必要な戦いを避け、生命の大きな流れの一部となることに身を任せるという感情に没しようとする衝動を象徴する。
月はまた個人的にも元型的な意味でも、母の象徴である。我々の中の月の面が戻ろうとするのは、この安全で安定に包まれた母の子宮なのである。
(中略)出生時の月の星座の中に、何か個人としてではなく、本能的な生物として自らを表現する方法を見いだすかもしれない。言い換えれば、月は本能的、もしくは非合理的な本質を象徴する。
また、バースチャート上の位置により象徴的眠り・無意識・逃避・避難場所を求める人生の領域を示すが、それは決定を下す能力や意志というより、自分の要求によって支配されることが多い。
だから自我が何かに向かって努力していないとき、本能的な反応パターンの中でくつろいでいるとき、その人の月を観察できるだろう。
――『占星学』リズ・グリーン著(岡本翔子、鏡リュウジ訳)(装飾、強調は著者による)
松村潔さん
占星術で活用される天体の中で、最も速度が早く、表層的な浮き沈みの激しい変化である、個人の感情とか日々の気分などを表しています。
月は、自分で発光しない代わりに、太陽の光を反射します。これより、象徴的には、外界の印象を吸収し放出する、という性質が導かれます。
(中略)自我が未発達の段階では、外界からやってくる印象を無意識的に選択できず、そのまま無批判に受け入れ、記憶に刻印してしまいます。
怒りっぽい母親であれば、子供もまた無意識に怒りっぽい態度を当たり前とみなして、自分の人格を形成してゆくのです。物心つく前の印象の吸収ですから、比較する対象がないため、月の資質を大人になっても自分で自覚できない人は多いようです。
――『占星術のシクミがわかる本』松村潔著(装飾、強調は著者による)
上記の松村潔さんの説明を読むと、欠損説中でマドモアゼル・愛さんも語られているような、月は「吸収する」「自覚していないパターン」などに共通するエッセンスを、全肯定でも全否定でもない、ただただ説明しているトーンで感じられるのではと思います。
月星座が7歳までに集めたクセが、幼稚なまま、修正されることなく発露していたら、そのときはある種“欠損”のような形で周囲に見られることはあるかもしれません。ですが、それは必ず獲得できない性質であるとまでは(それこそ、他の天体も絡むのですから)断言できないように感じます。
『月の教科書』を読んでの感想
わたしは、マドモアゼル・愛さんが警鐘を鳴らしたかったことも、そういった向きだったのじゃないかと思うのですが(もし月が、わたしたちからエネルギーを奪うなら、人間は太陽意識を育てて意識的に生きようという結論で、それは成長しよう、大人になろうということですよね?)
わたしは、例の著書を読み進めていくと、なにかズルズルした気配みたいなものを覚えます。「月が悪い」「月に騙されている」というゴールにどうしても持っていきたい強制力が働きかけてくる感じを受けて、心がドーンと落ちる感触がありました。
そして肝心要の、新説に対する根拠やリファレンスは?? というと、古代文書がーとか言われていたーとか、いっこうに詳細が明かされないので、わたしたち読者はそれを調べ検証することが出来ないんですよね。
ですので、読んでいて受けるのは「ずっと、マドモアゼル・愛さんの想像を聞かされている」感覚で、そこから言わんとされたい中核がわたしには上手く掴めず、理解できませんでした。
くだんの著書では、月星座が欠損している実例として、カルロス・ゴーン、三島由紀夫、寺山修司、出口王仁三郎らが挙がり「彼らは結局、月星座の象徴するものを失った」と書かれていますが、彼らが道中で得たものは、むしろ同業者の中でトップ層やんと感じます。
小説家を志しても本になることが叶わない人はたくさんいるし、書いたものが人まで届かないことを嘆く人もたくさんいる訳で……そんな彼らの前に“三島由紀夫”を持ってきたとき、その仕事はマドモアゼル・愛さんが言う「月並み」なの? と、はなはだ疑問。
その凋落した理由をネイタルの月星座にこだわるでなく、彼らが「失ったとき」の、経過図なり進行図なり、遅い天体とのアスペクトによる影響と考えたほうが、「なぜ、そのタイミングで失ったのか?」という根拠になりやすいと、わたしは感じました。
どんな高度な活動をしようと思っても、この人格の出発点であり基礎である月の問題は大きく、この月がないがしろにされていると、常に活力の不安定さや感情の不満足などを感じて、生きることそのものに困難を覚える結果になります。
(中略)一般に、月は大衆を表しているといわれます。
ここでいう大衆とは、深く考えることなく、軽い気分で物事を判断するような存在の総称でしょうか。たとえば雑誌、テレビなどマスコミで大きな事件が報道されると、報道を真に受けて感情的に反応する、という姿勢は、典型的な月の態度です。その反応はしばしば無意識的で瞬間的ですが、しかし永続性がなく、すぐに忘れられます。
「瞬間的で、永続性がないならば、そんなに重視する必要などないのでは?」と考える人もいるかもしれません。しかし、このような反応パターンが、本人の意識的な検閲をすり抜けて、いつまでも果てしなく続く資質となるのだから、いずれにしても、やはりじっくりと検討しなくてはならない問題です。
――『占星術のシクミがわかる本』松村潔著(装飾、強調は著者による)
こういった意味合いでの、「月星座」に対する注意を促す感覚は理解できます。
ですが、それは例えば、現政権に惑わされているという大衆だけでなく、陰謀論に惑わされる大衆にも、等しくどちらにも言えると思います。
わたしが思う「月星座」カルチャーの裏側
わたしは、どちらの考え方も(Keikoさん、マドモアゼル・愛さん)面白いねと思います。その表面のオマジナイ的なことではなくて、わたしが想像する限りの「御本人が伝えたいであろう真意」というか。
それは『アナスタシア』でも『アミ 小さな宇宙人』でも同じことで、その作者が込めたであろう「真意」が、わたしは好きです。世界中の人に向けられた、未来を見据えたエールだと感じます。
ですが、その物語にハマり囚われてしまって、その世界観とは異なる価値観に攻撃的だったり、視野が狭くなっている自分に気づかない人、世の中が間違ってる、あなたは知らない、目を覚ませ! という言葉を恐怖や不安エネルギーでばらまき、本当は自分が怖いだけなのに、相手に「変われ」「変われ」と働きかけるような人たちがとても苦手です。
その人が心から信じることが現実に現われてくると考えているので、Keikoさんにしろ、マドモアゼル・愛さんにしろ、その人が「カンフル剤」に出来るなら、なんらか意味があるだろうと思っています。
とはいえ、スピ業界全般に言えることですが、
……みたいな、実働やお叱り部分については、なかなか同じページに、同じボリューム、同じフォントサイズでは語られないし、そういうことを書くとクリック率も商品導線へのコンバージョンも下がるしで、これでもかーーと積極的に省かれごまかされている感があります。
「あの人に会いにいって波動を浴びれば移るから!」
「願いを書いて、感謝すれば宇宙が叶えてくれるん☆」
といった妄想劇場をさまよう人を量産しているんじゃないか感も、スピ業界の各種商品ページやサービスメニューを見ていて、思います。ひとたび SNS を覗くと、そんな“大人”がたくさん活動して思い思いに叫んでいるような感もあり、正直なところ、怖いです。
マドモアゼル・愛さんのような論調は、本来そういう“売れればいいスピリチュアル・ビジネス”に対するカウンターカルチャーみたいな流れなのかな? と感じます。
ひたすら長くなりましたが、今一度、マドモアゼル・愛さんがなぜ、ここまで月星座は「ない」と言い切られるのか。その根拠と思われる内容を見ると、
この世は幻影であると言いますが、この世が幻影であるというより、私たちが見ているものがすべて幻影なのです。
(中略)多くの人はなぜ不機嫌なのでしょうか。なぜ、苦しむのでしょうか。なぜ、楽しめないのでしょうか。幻影を事実だと思っているからです。そう思いたいからです。それしかないからとも言えます。
(中略)人は意識的に生きない限り、エネルギー不足に陥ります。なぜなら、意識そのものがエネルギーだからです。
―― 幻影に気づくことから始まる覚醒の道(前編)(装飾、強調は著者による)
この文脈から判断するなら、なぜ欠損を説くか?? と言えば、
意識的に生き、エネルギー不足に陥らないために。
従来の月(甘え)に取り込まれないで、意欲的に生きて欲しいからだ!
と、おっしゃっているように思います。また先述の、マドモアゼル・愛さんインタビューでは、このように締められています。
はじめて人を占った中学生のとき、喜んでくれた姉や姉の友人の顔。それが私の占いの原点です。
「先生のお陰で今があります」というたくさんの声を聞いて、当時と同じように、相談者に喜びや幸せを届けることができたのだとわかりました。
人を喜ばせる、幸せにする、それが占いであり、私の仕事だと思っています。そういった仕事ができているのならこれ以上に嬉しいことはありません。
―― 第3回・YouTube発信の魅力、挑戦することの意義|LittleLight
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これが本当なら、マドモアゼル・愛さんの「欠損説」を使う人たちも、相手を喜ばせる、幸せにするために、もうちょっと工夫して説いてくれたらいいのになーと思います(たまたま、わたしの友人たちが出会った欠損説支持者が特別で、少数派だといいのですが)。
そして、そういう気持ちを持って実践できるように、マドモアゼル・愛さんも読者や視聴者に対して、意識して指導してほしいです。少なくとも、わたしの知人友人たちは被害を受け、傷ついていました。
わたしは占星術を使うなら、その人の可能性を開き、互いに影響を受けあって、よりよい物を交わすコミュニケーションをするために用いたいと思っています。
もし時に「苦言」を呈するなら、その責任を「誰かの説」や「占星術」に置くのではなく、自分に引き受けた上で発言したいと思います。その人と対等に関わる。言われて久しい「水瓶座の時代」なら、なおのこと、それが重要なのではないかと思います。
最後までお読みいただき、有難うございました。