わたしの「エホバの証人」にまつわる体験

諸事情で、エホバの証人について調べている。

一般的には(つまり、ご自身の近くにその存在がなかった人たちにとって)

  • 家に訪ねてきて or 駅前などで資料配布をしていて
  • 入会を誘ってくる宗教団体で
  • どうやら輸血拒否しているらしく
  • あまつさえ子どもを鞭で打つヤバい宗教団体である……

といった認識になっているのかなと想像する。


最初に、わたしの体験を書いていきます。
このプライベートな記載に関しては、無断での転載や引用を禁じます

この記事を読む人は、エホバを知りたい人、知り合いや親族が関連する人や、あるいは2世・3世などの当事者となる方々ではないかと思います。わたしは、その人達に向けて話しています。

知ろうともせず信者をバッシングしたり、あるいは崇めたい人たちの道具にしないでください


わたしは小学校に上がる前に、エホバの証人に属する人々と接する時間があった。

彼らはみんな決まって丁寧で、人当たりのよい「いい人」達だった。

ちなみに、エホバでは仲間の男性を兄弟、女性を姉妹と呼ぶ。
「田中さん」「鈴木さん」だったら、「田中兄弟」「鈴木姉妹」と呼び合うことになる。

ジリジリと暑い日だった。

みんなで外を歩いていた。おそらく奉仕活動(勧誘活動のことをこう呼ぶ)に参加していたのだろうと思う。暑がるわたしにと、自分が持参した魔法瓶から冷たい麦茶をついで、飲ませてくれた人がいたのを思い出す。

カジュアルな服装のわたしと比べて、なかでも年長の兄弟はきちんとしたスーツ姿だった。

やや髪の薄い彼が、額につたう玉の汗をハンカチでぬぐう仕草を見上げながら、わたしは

(なんだか暑そうな服だなぁ)
(ハンカチで汗を拭くなんて、兄弟はなんだか違うな)と考えていた。

それまでにわたしが見てきた“成人男性たちが顔を布で拭く仕草”といえば、飲食店で食事をともにするとき、熱々のおしぼりを開くなりぐしゃぐしゃと豪快に顔をこする様子だった。

家のなかでは、おしぼりを使って顔を拭いてから食べ出すでもない人たちが、(しかも男性だけが)何も言わず示し合わせたかのように始めるその動作を見て「おしぼりって、汚れた手を拭くものじゃないの」と驚いた覚えがある。

そのせいか、兄弟の姿は記憶となって残っているのかもしれない。


もう少し、おぼろげな記憶としては。

わたしが何か猫モチーフのものを「可愛い!」と言ったら、気を良くしたその姉妹が、わたしに猫のアクセサリーか何かをくれたことがあった。

何かをタダで貰えた得したような気持ちと同時に、わたしは“可愛い”と言っただけで、姉妹がくださった物が欲しかった訳ではなかった。わたしはそのアクセサリーを身に着けることは無いであろうと、やや気まずい気持ちを覚えたこととか。

あるいはいつもクッキーを持参してくれる兄弟(彼のことを「クッキー兄弟」と呼んでいた気がする)に懐いていた記憶もある。

そういう「いい人」たちだった。


なんだか不思議な空間だな。
どうしてこの人たちはこういう集まりをするんだろう。

なぜ回の終わりにこんな変わった歌を、みんなで合唱するんだろう。
他の大人たちは、こういった歌詞のものは真剣に歌わなさそうだなぁ。

そのうち、絵本や子ども向けの聖書ものがたりを読むにつれて、ムクムクと疑問が生まれてきた。

ある日2人は各々の収穫物をヤハウェに捧げる。
カインは収穫物を、アベルは肥えた羊の初子を捧げたが、ヤハウェはアベルの供物に目を留めカインの供物には目を留めなかった。

これを恨んだカインはその後、野原にアベルを誘い殺害する。

―― Wikipedia – カインとアベル

どうして、カインとアベルは兄弟で処置が違うのだろう? 2人とも、それぞれにエホバを慕って自分が思う素晴らしいものを捧げた行為は同じなのに。

最初に「ちなみに、わたしは子羊しか欲しくないからね!」なんて、エホバはリクエストしていないのに。そんなの分からないじゃないか! 自分が捧げたものが無視されて、弟だけ「分かってるね、君」と褒められていたら、そりゃあショックでしょ。わたしがカインの立場だったら、嫉妬すると思う。なんで分かってくれないの、お父さんって思う。

殺したのはひどいけれど、カインは気が遠くなるほど長い年月、世界中の人達に「最初に人殺しをした、よくない兄」って言われて、かわいそう。

いま書いてみて思ったけれど、なんていうか、フェアじゃないのである。
この世は、エホバに気に入られるか次第のゲームって感じで、全てのエピソードが進行していく。エホバはなぜ子羊を好むかの説明は省かれたまま。

そこが大事じゃないのか、と思うんである。

子羊というメタファーが指し示すもの、カインとアベルという兄弟は象徴的なもので、聖書に書かれたことがイコールそのまま現実あったことではないんじゃないのか。終末予言が意味するものも、わたしたちの現実世界とは違う事象ではないのかと。

今は変わっているかもしれないが、エホバはトップダウンの団体なので、みんなで「あなたはこれ、どう解釈した?」とか話し合うのではなく、長老とかオエライさんの見解を「そうなんですねーっ」と無思考無批判で受け入れる仕組みになっていて、そこが解せなかった。


よく問いただされる終末予言の有無はなんとも分からないけれど、中でもわたしにとって問題なのは、
全知全能の神エホバが、わたしたちを死なせることだった。

“針の穴にラクダを通すほど難しく”(子ども心にこの表現、スゲーなと思った。どうしてラクダを針の穴に通そうなんて思うんだ!)

“多くは安楽な道を選ぶが、正しくエホバを信仰した者たちだけが、険しくも続く道”を見つけ進むことができる。という。

そして肉体は死んだ後に、求めていた「楽園」に復活できる。そこでは病気も死もなく、ただ幸せに生きるという。だから証人たちは人々へ伝道し、彼らを助けなくては、楽園に導かなくてはならない――。

※これは当時のわたしの記憶だから、認識が誤っているところがあるかもしれません。

そういう「いい人」たちが、無報酬で労働するから「奉仕活動」なんである。


でも、じゃあなぜ「病気」があるのか。
エホバが創造主なら、病気も生み出したことになる。ならば消せるはずじゃないか。

当時、白血病やガンによって若い花嫁が亡くなってしまうといった映像作品がよく流れていた。なぜあの花嫁を救ってあげないのか。

どうせなら、人に憎まれるようなひどい悪事を行った人を連れていけばいい。いい人は亡くならなくていいじゃないか。

わたしが神様だったら、あなたたちが死んだ後に気に入った人たちだけを楽園へ連れて行くね、なんて言わず、いま楽園にする。自分の言うことを聞かない人間だからって、殺したりしない。

だって、それが「全知全能」ではないのか。

人間よりも高等で、さらに強く頼もしく心優しい存在であるはず。全てを知っている創造主が、なぜ不要な存在を生み出して殺すステップを踏む必要があるのか分からない。それを説明してほしい。

そうしたことを何度か親に聞いてみたものの(わたしは死なずに、あなたと今楽園にいたい! どうしてエホバはそれを叶えてくれないのか?)、決まって目が変わり抑制された声で、会衆に吹き込まれたらしい“誰か”のフレーズを呟くだけになってしまう。

要領を得ないし埒が明かない。そのうち訊くことを諦めた。

上記のとおり、書かれている神のありように対しては色々と「??」は浮かぶものの、そしてそれを親に尋ねてもピンとくる答えが得られない不可解さはあるものの、いつも心安らかで穏やかな雰囲気を良しとする大人たちの集まりは、子ども心に嫌なものではなかった。

わたしはたぶん、純粋にエホバを信仰した「なかなか真面目な子ども」だったので、信仰に関する理由から叩かれる経験もなかったのかもしれない。


ある夜に連れられた「集会」から戻り、いつもどおり自宅の鍵を開け入ろうと、わたしの親がドアノブに手をかけて引っ張った瞬間、

ガン!!

想定もしなかった鈍く大きな音と、ひどく緊迫した空気にビクッとした。初めての出来事で、わたしは何が起きたか分からなかった。

家にいたもう一人のわたしの親が、ドアにチェーンロックを掛けていて家に入ることができなくなっていた。チェーンロックなんて機能が家のドアにあったことを、この時に初めて知った。

わたしは排除されている。
当時「排除」なんて言葉は知らなかったけれど、強烈な不安の感覚が残った。

そこからの2人の話し合いは覚えていない。記憶がない。
今にして思えば、見えない鈍器を使って斜め上から頭を殴られた感じで、わたしの体を支えてくれた足元の大地は砂のように頼りなく、消えていってしまったようだった。

唐突に占星術の話になってしまうけれど、わたしのネイタルチャートでは家や家族を表す4ハウスに、破壊と再創造の冥王星がある。オーブは広いが、そこには7歳〜14歳の年齢域を表す水星も在位している。まさにその年齢のわたしは、根っこを生やしていたはずの地面が消えて真っ逆さまに奈落へ落ちていくような、何もかもが混乱して秩序が失われ、グチャグチャの内的世界にいた。

その次に思い出せるのは、チェーンロックをかけた親に質問をされ、エホバを信仰する文句を唱えたわたしのお尻や脚が薄暗い部屋で叩かれているときと、やっと1人になれ確認すると、片足が全て内出血したその様相に驚いたときである。

叩かれている間も、その後も、痛いとは感じなかった。
言うことを聞かないと叩かれることはあったけれど、理由もなく叩く親ではなかったので、なにかが逆鱗に触れたんだろうと思った。

後にも先にも、これが最もひどく叩かれたか殴られたかした経験だったと思う。

これまで見たこともないような、不吉な悪役を思わせる紫色や青緑色がミチミチに詰まった「どんよりと濁った色」の皮膚。すでに内出血は経験したことがあったはずと思うが、こんなに重々しいタイプの色は知らなかったし、わたしが知る人間の持つ色ではなかった(ケガや事故などで、そういう色になっている方が傷ついたらごめんなさい。人体の不可思議を当時のわたしは知らなかったのです)

こっちの足は、わたしが大人になっても「どんより色」のままなんだろうなーーと、諦める気持ちで眺めていた記憶が強くある。

ところが、もちろんそんなことはなく。
いつの間にか、グジャグジャの“終わり”みたいな色から紫色へ、それが青みがかった緑色に移り変わり、だんだんと黄味を帯びていった。

ほお! 最初は到底、考えられなかった色が、肌色にまで戻っていく。喜んだりするでなく、人間の皮膚って意味わかんないなぁと思った。これは4〜5歳くらいの出来事だと思う。

今になって考えると、我が子の片足を全面変色させるほど叩くのか? 一箇所ならまだしも、全面的に叩くのも手が疲れそう……と思ったりして。まだ子どもで、足も小さかったから親の手が大きく、相対的に全体に及んだのだろうか?

わたしが過度に捉えていた可能性もあるし、あるいは叩いた親も恐怖心から凄まじく念入りだったのかもしれない。よもや写真に写したりもしていないので、事実は分からない。


つまりわたしは、エホバの信者にムチで叩かれたことはなく、エホバを嫌がる人から、したたかに叩かれた経験がある子どもなんである。

エホバといい、親といい、なんで自分の意見に従わない子どもに対して暴力的なコミュニケーションを取るのか、わたしはとても理解に苦しむ。元型的な「親」であるとか、「父性と母性」に期待がありすぎるのかもしれない。

それから、怒った親はわたしをエホバから引き離そうと動いた。

当時、親が所属していた会衆は、日本のなかでも熱狂的で思想の強いグループだったらしい。その後に聴いたので本当かは分からない。

小学校みたいに、住んでいる家から最も近い会衆に集まり、そこで集う証人たちと協同で聖書を学んでいくことになる。

片親はその強い方針に洗脳状態で当時はエホバについてはとても会話にならず、脱会は難しいと判断した片親は引越しを決断して県まで動いた。


だからわたしは、小学校1年生の夏休みに転校した。
入学から数ヶ月の転入生。もう仲良しグループは出来上がっていて、馴染めないなぁと感じる小学校生活の始まりだった。

わたしはエホバの集会に行かなくなった。
ひとえに、怒った親がわたしをエホバに所属させまいと動いてくれた結果だろう。エホバの親が夜の集会に行くときは、車で30分くらいかけて祖父母の家まで送迎する約束がついたらしかった。その祖父母が住んでいる県だから引っ越したと。

祖父母はいつも優しく接してくれたし、これも何も嫌ではなかった。
ただ転校先や同級生たちとは上手く関われず、嫌な思いをさせられてよく泣いていた。しかしわたしが泣くと、親達にわたしたちが悪者にされるから泣かないでほしいと言われ、もうどうしたら良いのか分からなくて困っていた。


成長するにつれ、小出しに何度もエホバはどんなに危険な団体かを(片親がいないタイミングで)説かれ、あれはカルト宗教だ! と熱を入れて説明されるようになった。その頃にはオウム真理教の事件も起きていたので、ああいう集団になりかねないんだと。

カルトって何なのか、エホバが何なのか。そもそも宗教自体よく分からなかった。

わたしがエホバでお会いした人たちはみんな、わたしがウンザリするような嘘つきの大人たちと比べたら「いい人」たちだったけれど、社会的に見ると正しそうなのはこちらの親だと、当時のわたしは判断した。

そして、わたしの両親の不仲はすべてエホバのせいなんだ。
そう認識するようになった。

グラグラとした感情が渦巻いた。
踏みにじられ、嫌な思いをさせられている――わたしの家族・親族全員。

登下校時、必ず通る駅前の決まった場所でエホバの人が布教するのを見ると、カーッとエネルギーがお腹から上がってくる。感情が引っ張られる。でも関わりたくない。あの人達は独特な雰囲気と服装をしているから、すぐ分かる。

あなたたちは善いことをしていると思っているだろうけどね、こんなに嫌な思いをさせられている家族がいるんですよ。だからあなたたちは悪いことをしているんですよ。

投影とかシャドウ、心理の構造なんてつゆ知らずのわたしは思っていた。

信仰したいものは好きにやればいい、どうして、わたしのテリトリーに勝手に踏み込んでくるの? そういう思いをギュッと凝縮して「ここからいなくなれ」と念じながら、ランドセルを背負いつつ睨みつけて歩いていた自分を思い出す。なかなか陰湿でガッツのある小学生だと思う。笑

エスカレートしていたエホバの親の人格はだんだん落ち着いていったけれど、それでも覚えている限りでは、

  • 「祖母がくれたお雛様を捨てたからね」と言われる(エホバは行事を祝うことが禁じられている)
  • 生まれ変わりの概念がある有害図書という理由で、わたしがお年玉で買ったセーラームーンのコミックスが、学校から帰ったら捨てられていた

などがあった。

これらは未だに、人権無視というか、ひどいことするなーと思う。
祖母が孫へプレゼントしてくれたというお雛様を、わたしは一目も見ていないし覚えていない。というか、もらったことも知らなかった。人形達が、祖母の込めてくれた想いが、何より小さい時のわたしが、かわいそうだなぁと思う。

こういった、教義を信じて正しさを盲信するあまりに、結果の仕上がりとして視野が狭く、相手の選択や感情を尊重しない傲慢な人たちになりやすいところが、エホバの人たちや宗教団体が社会で疎まれる理由だと思う。

善意から行われる悪事って、タチが悪いものだとわたしは思う。

大人になるにつれ、親子関係にも様々なパターンがあり、別に宗教問題でなくとも、プライバシーを侵害されたり、暴力をふるわれたり、ネグレクトされた子ども達がいると知ったので、大したことないじゃない、育ててもらったじゃない、とも思うけれど。

そうやって誰かと比べて、自分の悲しいとか、つらかったという気持ちを小さく小さく見積もり、こんなことを求める自分とダメ出しするのはもう止めにしたい。大きさや重さで測られるべき話ではない。どの子どもも守られ尊重されて欲しい。どの大人たちも昔は子どもだったんだから。


話を戻す。

とにかく当時は、特に中高生の頃は、エホバの人が目に入ってくるのが、ほんとうに嫌だった。不快だった。

これはエホバによる出来事のせいで、その過去がしみついたわたしには、もうコントロールできない出来事だと思っていたから、暴力をふるわれている思いだった。事実、親や親戚などの大人をわたしがコントロールすることは出来なかったのだし。

エホバから授けられたアドバイスを無視した人たちが、様々なバリエーションでむごく呆気ない死に方をしていくのを物語で読まされ、とにかくエホバが絶対に正しく、言うことを聞けば必ず救われ報われるという世界観が最初にセットされてしまったから、違和感を覚えつつもどこかで神やキリストのような存在を信じていたところもあったからだと思う。

事実、父が仕事のストレスから、自分の部屋でタバコを吸うようになったときは、「どうか彼の健康をお守りください」と唯一ひとりになれるトイレの中で神に祈りを捧げていたこともあった。父自身の意志だと思うが、思いもしない早さで喫煙しなくなった父を見て、わたしは心のなかで見えない何かに感謝した。

感情の置きどころや、わたしの信仰心や世界の規範が引き裂かれ、父と母によって言うことが違うという混乱。安心して身を委ねられる母体はもう破壊されてしまい、緊張が張り巡らされた空気感のなかにいる生活、わたしはとにかく、ただただ不安だったのだと思う。

そして嫌な気持ちになるもの、させられるものから離れたかった。

ここでは写真に十字架を置いてみたけれど、エホバの人達はキリスト教のなかでも変わった思想なので(異端とされている)、十字架を好まない。着用したり礼拝したりしない。エホバの証人を解説する記事などで十字架が出てきたら、にわかである。笑

続きます。
あまり気持ちのよい内容ではなかったと思いますが、読んでくださってありがとう🙏

どんな場であっても、そこには成熟した人と未熟な人が、素晴らしい人格者と共感力の乏しい人たちはいると思うので、一概に何かの団体や活動者を否定したい訳ではありません。

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