コハのつぶやき(2024.3/18~4/8まで)

2024-04-08 毒親・インチャ・アダルトチルドレンではない「親子コミュニケーションの回復」を求めて

現在、読書中の『7つの習慣ファミリー』

『7つの習慣ファミリー: 新訳』スティーブン・R. コヴィー (著), フランクリンコヴィージャパン (翻訳)

家族に特化したバージョンがあるとは、今回調べるまで知りませんでした。まず家族とか友情、絆的なタイトルは回れ右をするし、大人気コンテンツに寄りかかった副次的なタイトルも避けるし、トリプルに自分が手に取るとは夢にも思わなかったタイトルです。

10年前は、猫も杓子もビジネス書でもブログでも何でも「7つの習慣! これが全て」と言っている気がして、正直食傷気味でした。

パラダイム・シフトという考え方の処方箋であるとか、インサイドアウトに代表されるような、相手と競い合い傷つけ合うのではない、育む視点から始めようとする関係構築は「そうだよな〜」と思うのですが

いま思い返すと、やれ「7つの習慣! これが全て」と言っている人達ほど、内実では家族関係が良くなかったり、喧嘩別れしているような実例サンプルが増えてしまって、なんだかわたしの中ですっかり要注意シンボル的存在になってしまったようで、いつしか頭の中からその存在は消えていました。

(加えて、著者のスティーブン・コヴィー氏がモルモン教の教会員であると聞いたことも、わたしのアレルギーに拍車をかけたような気がします)

振り返るに、そうした自分の反応は、今言葉に表すなら少女趣味的な潔癖さ、完璧主義みたいな成分だったと思います。その頑なさが守ってくれた部分もあったと思うけど、そのせいで手に出来なかったことも多かっただろうなぁと思うし、そうした様々な要因を含めて、「今」なんだろうな。

そんなアレルギー反応を超えて、手に取りたいと思ったのは、親子関係の修復や回復にまつわる良書が見つけられなかったためでした。

大概が、母親が子育てに悩む本、あるいは、母離れに悩む子どもに向けた本で、特に父と娘の関係回復は見つからず。洋書や訳書を探すと、性加害にまで発展してしまう。どれも大切なテーマだと思うけれど、自分が聞きたいお題を与えてくれる本は「親子関係」でサーチした時に見つからず。

そんな折に、名著7つの習慣に「家族特化バージョン」があると知り、急ぎ購入したのでした。

「7つの習慣」の概念を家族に応用した『7つの習慣 家族実践編』の上・下巻を1冊にまとめ、『7つの習慣 ファミリー 新訳』として刊行しました。全編にわたってわかりやすい表現に改めながら、著者であるコヴィー博士の家族、夫(妻)、子どもとの関係に悩む人々が家族関係を改善し、より良い家族文化を築いた豊富な事例はできる限り省略せずに編集しなおしています。

―― 「7つの習慣 ファミリー新約」キングベアー出版

余談で、この本はさらに新しい版もあったのですが、自分はこういうとき、たいてい古い方を選んでしまいます。

わたしが購入したものは 2005年、新しい版は 2015年。せっかくなので、今もう少し調べてみました。

“キングベアー出版”という表記は変わっていないが、母体会社としては「フランクリン・コヴィー・ジャパン株式会社」から「株式会社FCE」へ 2018年に事業譲渡されたらしい。

ならば古い方が源流に近いのではと踏んだのだけれど、「株式会社FCE」の沿革を見たら、そもそも始まりは『7つの習慣』だったそうで。今自分の手元にある、古い『7つの習慣ファミリー』と前書き部分を見比べてみても、増えている感があるではないですか。

そもそも、新版にあるスティーブン・コヴィー氏とサンドラ・コヴィー氏(奥さんです)の前書きが、わたしの持つ旧版には無い! あらまぁという感じ。

同じ文章を訳しているところを少し比較してみる。わたしの手元にある旧版では、こう。

軌道修正はできる

たいていどんな家庭でも、本当にうまくいっている家族でさえも、自分たちが決めた針路から外れるものです。それでも成功しているのは、はっきりとした方向性、進むべき道がわかっているからです。

これは飛行機の旅とよく似ています。……

新版では、こうなる。

ほとんどの時間は針路から外れている。
それでも心配ない。

良い家庭は――最高に良い家庭でも―時間の九〇%は針路から外れている! それでも良い家庭であるのは、方向感覚を持っているからである。その「針路」がどこを目指しているのかわかっているからだ。だから、何度針路から外れても、そのたびに戻ってくることができる。

それは飛行機のフライトに似ている。

スティーブン氏みずからの音読によるオーディオブックもなぜか持っている自分としては(その昔、リスニングの勉強にしようと思って買ったんだった。懐かしい!)新版のほうが、御本人に近い文体な気がしました。

なので、本来のわたしの好みで言えば、今回は新版の方が良かった気がする……。

ただ、今回は読書を楽しむ、著者の世界を遊ぶというよりは、マジで問題解決のためだから、旧版のあっさり度合いが適していたのかもしれない、思うことにしよう。

2024-03-29 クリスタライズとか世界観カタリストとか

もともとは、「世界観デザイナー」と名乗っていた。

けれど数年経つうちに、世界観デザイナーとか、世界観クリエイターとか、世界観ディレクターなどの名前で活動する方々が現われたようだった。

そして、わたしが「世界観」というコトバに込めていた中身と、

世界観が名前についた商品群を見た限りでは、一般的に「世界観」と使われるものにも大きく隔たりがありそうだった。

世界観(せかいかん、独: Weltanschauung、英: worldview)とは、世界を一体的に意味づける見方。一般に、人生観より広い範囲を包含し、単なる知的な理解にとどまらず、より情意的な評価を含むものであり、情意的な面、主体的な契機が重要視される。

現代の日本では、漫画、アニメ、テレビゲームなどフィクション作品の舞台となる世界の設定という意味で誤用されることが多いが、人によってはフィクション作品の世界そのもの、あるいは作風や雰囲気といった意味で使う場合もある。

―― Wikipedia – 世界観

ざっくり言い換えるなら、その人の「魂」を、わたしは「世界観」と呼んでいる。

よく言われている “商品ごと、ブランドごとに世界観を演出する!” という言い回しは、わたしの感覚では“世界観”よりも“雰囲気”であったり、“ディテール、あしらい”といった単語が近く感じられる。

わたしの世界観は唯一だし、
あなたの世界観も唯一のもの。

そして常に揺れ動き、変化・成長していっている、魂からこの世を見ている窓のようなもの。

その世界を感受して、未来の変化も見据えて受け入れられる器を作る。
あの世からこの世側まで、物質的≒情報空間まで、文章と画像で適切に、麗しく美しく、「あなた」をお連れいたしますね――そんなイメージを込めて名付けていた。

世界観とは、世界の意味を問うもので、たとえば「この世界は私にとってどんな意味があるのか」「この世界で私はどのような役割を果たしてゆくことが期待されているのか」「世界の中で人間はいかなる役割を果たせば意味があるのか」などの問いに答えようとするものである。したがって、世界観とは、世界に対する態度およびその表明であるとみなすこともでき、人生観や実際の生き方と結びついている。さらに「世界観」を背景にして、「理想」や「善」などの意志的側面、行動原則など実践の指針が与えられる。

―― Wikipedia – 世界観

コハ
コハ

この文章、ほんとに好き! どこかのページでも引用していて、このサイト内で重複している? くらい。

この世界をどう観ているかは、=この世界でわたしは何を是として行動している人か、ということで。語るよりも言動に常に現われている、いつも鏡合わせになっているものだよねと思う。

年々どんどんチューリップが好きになっていく。おうちでもピンクを飾っている

「デザイン」とか「デザイナー」というコトバですら、認識が違うなぁ……と感じることが多い。

デザイナー(英: designer)は、視覚領域において意匠計画や図案、設計を手掛ける人のこと。日本で単に「デザイナー」という場合、主に視覚的な設計を行う人物を指すことが多い。

―― デザイナー – Wikipedia

デザイン(英語: design、中: 設計)は目的設定・計画策定・仕様表現からなる一連のプロセスである。すなわち人・ユーザー・社会にとって価値ある目的を見出し、それを達成できるモノゴトを計画し、他者が理解できる仕様として表現する、この一連の行為をデザインという。

―― デザイン – Wikipedia

コハ
コハ

これですよーーホント😘 ただキレイにするとか、飾り立てるとか、装飾をつけるデコるではなくて、最初に目的を定めた設計があってこそ、アーティストではなくデザイナー。アーティストは“自分”を表現する人。デザイナーは“目的の達成を意図した”表現をする人。わたしはそんな風に考えています。

そうした紆余曲折を経て、自分の中で浮かんでいる心象風景(精神世界か、さらに高次の世界にあって、肉体の自分が感受しているもの)をなんとか明瞭に表せないか、と調べたりでたどり着いた言葉が、くだんのクリスタライズとか、カタリストだったのですよね。

また数年経ったら、こうしたコトバはまた一部界隈で流行っていくのかもしれない。

ビジネス的にいうと、商標登録を取りなさいってことなんだろうなぁと思うものの、それは違うと感じるので、こうしてどんぶらどんぶらこ、ずっと名を変えていきていくのかもしれない。

そもそもわたしがクリスタライズカタリストを気に入っている理由は、クリスタライズがコンサル業界の用語で、カタリストがマーケット業界で用いられる単語であるという点だったんです。どちらも、全然スピリチュアル用語じゃないところが好みだった。

もちろん、クリスタルが好きなこととか、どちらも同じ「C(3番目のアルファベット)から始まっていることも、ある。

クリスタライズとは「結晶化する(本質だけを抽出して昇華する)」という意味です。

―― 説明上手な人は、この2つが圧倒的にうまい – MSN

お客様や、接する方々のエゴではなくエッセンスを、本質から生まれたものだけを、美しく結晶化する。そんなデザインやコミュニケーションが、わたしが行いたいものだと思った。

カタリスト(Catalyst)はもともと化学反応を促す「触媒」を表す英語で、マーケットにおいては相場を動かすきっかけとなる材料やイベントを指します。

―― SMBC日興証券 – 初めてでもわかりやすい用語集

とある方に、もう 10年前になるか、あなたはトリックスターの性質を持っていると言われて、深いところでぎくりとするような感覚があった。そういった個性を、他者や社会にただ傷つけたりショックを与えるではなく、上手に還元していくためには、カタリストが置きどころになるのではないかと考えている。そんな 2024 年のコハなのでありました。

2024-03-27 コロナワクチンについて

つぶやきに書いていたら、すごく長くなってしまったので、記事として分けました。

2024-03-25 美しさとは

自己紹介文を作成する必要があり、思いつくままに走らせたら、8ページに。

いや、長すぎる……。なるべく短くスリムにしようと消したり省いているときに、こぼれた文章たちです。

美しいものを見ることが好きです。

美しさとは? これは人によると思いますが。わたしは、

本質的で、機能的で健全*なもの。
求むる要素が満たされ、場や背景と調和しているもの。
時代や差別も超越できる響きを有しているもの……今のところ、こんなイメージを持っています。

*ここでいう健全は青少年保護的な意味合いではなく、“考え方や行動が偏らず調和がとれている”の意味です。

美はヒエラルキーが生まれるものではなく。
どんな属性の人が見ても(違う国であっても)「絵になる、合う」と感じてホッとする組み合わせ、あるいはシャンと背筋を正したくなる、そんな力を宿しているものじゃないかなぁ。

命が回復するもの、と言い換えてもいい気がします。
“美味しい”は「美しい味」と書くように、魂に触れて生命力を賦活させてくれるもの。
広がりを持ち、深い落ち着きや安心を与えてくれるもの。

青々とした緑に咲き誇る花々、海や山のダイナミズム、澄んだ川の流れを眺めていると、目からも生きて弾力性に富む、フレッシュなものたちが、まるで必須栄養素のように摂取できる気がしてきます。

また、人との深い対話や気付きは、魂にとっての栄養補給だと感じます。

2024-03-24 「違うと思う」を上手に伝える方法

※一部、修正しました。

昨年の秋ごろから続いている、コミュニケーション不和なとある関係性。

諦めている気持ちと、わたしがいけないのかなと思う気持ちと、だけどここで挫けては違うよなと思う気持ちが入り交ざる。

話したい、伝えたいと思っていることを届けたくて、構成に気を配ったり、言葉選びに注力したり、ひとりよがりにならないよう世界的に認められているスケールを持ち込んだり……思いつく限りの創意工夫をしているのだけど、根本から伝わっていないことが分かって、2月は落ち込む時となった。自分の甘い期待と、現実認識が乏しかったことに。

もういいやってくるめて終わらせたい気持ちはずっとあるのだけど、それはしたら違うよなぁの繰り返し。もしこれが最後の会話になったら後悔するんじゃないか、それなら嘘でも演技でもしたほうが良いのではないか、なんてことも過ぎるのだけど、それは自分の場合、優しさという名目にコーティングされた、やっぱり「逃げ」の姿勢な気がする。

そんなことでうーうーしていたとき、Twitter(X)から流れてきたのが、「グレアムの反論のヒエラルキー」だった。

原文は「How To Disagree」どのように反論するか。記事へのリンクはこちら

最低 DH0 ただの罵倒
DH1 人格を攻撃する
DH2 論調を批判する
DH3 ただの否定
良い反論 DH4 論拠ありの否定
DH5 相手の主張の一部が間違っている説明つき
最良の反論 DH6 相手の主張の本筋が間違っている説明つき

日本語訳されているものをみると、ポール・グレアム氏がブログで書いている「DH0」を「レベル1」とし、最良の反論を「レベル7」と訳しているものが多いみたい。

具体例があった方が分かりやすいので、日本語訳で並べ直すと、こうなる。flowthink「反論の「質」を7段階で評価する」より。

DH0 「この低能が!」or「あなたは少し考えが足りないのではないでしょうか?」
結局言っていることは同じで、単なる罵倒でしかない。
DH1 「彼は普段仕事ができないから、会議で言っていることも信用できない」
DH2 「そんなきつい言い方はないだろう」
DH3 「そんなことはあり得ない」「話にならない」「常識だ」
DH4 反対の理由をしっかりと述べる。
DH5 相手の言っていることを引用しながら、どこが間違っているのかを指摘する。
DH6 「あなたの話の本題は〜だと思う。しかしそれは間違っている、なぜなら〜」という言い方になる。

これで見ると、わたしは「DH5」または「DH6」の反論(から始まる、建設的で次の見解をもたらす会話)をしたいと望んでいて、目指しているんだけど、

最初の衝突時、向こうからの Disagree は「DH0」だったことで強いショックを受け、それでも求められたことを送り、それに対しての返答が無視され傷つくことになったと。そして、2年越しの返答は「DH2」「DH3」だったことで落ち込んでいるんだなと、悲しいけれど理解できたわ😭

またこうやって、ネットに書くことじゃないと怒られるのだろうと思うけど。
わたしも、こんなこと書くなよと思うけれど。反論に対してモヤモヤして、自分が我慢すればいいのかなと思っている方がおられたら、こういったスケールもあるようですよ、とお伝えしたい。

この DHレベルをブログで公開したポール・グレアムさんは

英国生まれのコンピューター プログラマーであり、博士号を取得しています。ハーバード大学出身で、著名な起業家、ベンチャーキャピタリスト、そして作家でもあります

―― How to disagree well: 7 of the best and worst ways to argue – BIG THINK(自動翻訳)

華々しい経歴をもつ、IT畑の御方らしい。だからこそ、ウェブでただの悪口が行き交ってしまう現状に対して、思うことをまとめられたのかもしれない😢

先にリンクを貼った、彼の記事の最後をここに引用して終わりとします。

意見の相違の形態を分類することの最も明白な利点は、人々が読んだものを評価するのに役立つことです。特に、知的に不誠実な議論を見抜くのに役立ちます

雄弁な話し手や作家は、強い言葉を使うだけで相手を打ち負かしているような印象を与えることができます。実際、それがおそらくデマゴーグの特徴的な性質だろう。

コハ
コハ

デマゴーグとは……「刺激的な嘘(デマ)を発信するなどの方法により、人々の行動や考え方に影響を与えようとする政治家」のことだそうです

自分が同意できないことに対して口調で反論する人は、自分が本当に何かを言っていると信じている可能性があります。ズームアウトして、意見の相違の階層内での彼の現在の位置を確認すると、彼は反論や反駁に進んでみる気になるかもしれません。

しかし、意見の相違を上手にぶつけることの最大の利点は、会話がより良くなることだけでなく、会話をする人々がより幸せになることです会話を研究すると、DH6 よりも DH1 のほうが意地悪がはるかに多いことがわかります

本当のことを言いたいときは、意地悪する必要はありません。実際には、そうしたくないのです。本当のことを言いたいとき、意地悪をするのは邪魔になるだけです。

意見の相違の階層を上に進むことで人々の意地悪さが減れば、ほとんどの人はより幸せになるでしょう。ほとんどの人は意地悪をするのがあまり好きではありません。彼らはどうしようもないからそうするのです

―― How to disagree – paul graham(自動翻訳)

2024-03-21 コンプレックスは埋蔵金

連日、気のおけない友人たちと会ったり、LINE 通話をしている。

わたし自身もそうだけれど、友人もみんな話が止まらず😂、次はあの話題、今度はこの話題――あっという間に時間が過ぎ去っていく。わたしはこういう時間がとっても好き。

  • ユダヤ人とは何か?(その友人は、よく言われるような宗教や血縁によるものではなく、まったく劣化したり変化することのない強固な情報コピー技術であるという)
  • 世に出す文章を書いていくにあたっての、誠実さや正確性と、分かりやすく伝えるために剪定したり誇張する危うさ
  • わたしが彼女にプレゼントしたベストセラー本の翻訳が気になり、元の英語版を購入したら、まえがき時点で登場人物の年齢が改変されているなどの驚愕について

わたしはわたしで、

  • 体は物質(見えて、触ることが可能なもの)、心は精神(見えないが、感じるもの)、ならば魂は情報(≒記憶、時を超えて復元できホログラフィックに反映されていくもの)ではないか
  • 体には免疫が備わっているように、心にも免疫が必要であり(境界線を引いて他者と関わるシステムの構築)、魂にだって意識操作や汚染(洗脳)への免疫が必要だと思うという現在の考え、
  • 天皇=道教における最高神の言葉であり、道教は北斗信仰であって太陽崇拝ではないことと天照大神や古事記との齟齬の説明

といったマニアーーックすぎる話を披露し、石上神宮を参拝する渋さね😂

▲この写真は、昨年11月末に参拝したときの石上神宮📷


翌日の友人とは、定例で時間をもらうことをお互いに? お願いしており🙏、月に3回、なんと5時間ずつ喋っているという稀有な御縁を頂いている。

この時間を頂くようになって、何ヶ月? 1年は経過したのかな。2年めに入っているかもしれない。その間に対話しあい、整理してきたものの量と質は、ちょっと凄まじいものになっている。自分だけのアイディアでは不安だった頃、彼女に話を聞いてもらい、感じることを共有してもらったことが、どれほど今のわたしを支えているかは計り知れない。

  • ポリヴェーガル理論の面白さ、脳の作りで考えた対策や対応、迷走神経反射らしき症状への対処法談義。
  • 税務署に確定申告に行った際に見えた、現場のストレスやジレンマ。公務員、お役所仕事における多大な誤解やもどかしさについて。
  • 道中で見かけた「全商連」の文字、検索してみるとどうやら共産党の関係らしい。そこから長く京都府知事に就いていた共産党の流れを知ったこと。
  • シュタイナーとヒトラー(トゥーレ協会)について。放火と毒殺。…ルサンチマンと神秘思想、超人などの超越的存在が噛み合うと、オウム真理教のように甚大な凶悪事件へと変貌してしまうのかもしれないという予想
  • 沖縄の基地問題、戦争によってズタズタにされ、そして今なお傷つけられている沖縄の人たちの精神(もちろん肉体、物質面でも)、良い悪いで2分されたくない現地の女性たちの声について

▲2月、別の友人と沖縄に行ってきた。
沖縄通の彼女が最後に連れていってくれたのは「渡具知とぐちビーチ」だった。

とても不思議な印象を覚える海岸で、直観的に「人体みたいな場所だ」と、わたしは感じた。

そして、京都に戻ってから調べて、わたしは絶句したんだよね。

▼以下は、沖縄県読谷村の観光協会ホームページより引用する。

読谷観光協会より

サンセットが美しい、東シナ海を一望できる絶景ビーチ!
1945年4月1日、アメリカ軍は渡具知の浜から沖縄に上陸しました。現在はキレイに整備され、公園・レストラン・BBQ施設があり、地元の人に親しまれるビーチです。


人の手が入れられていない自然のままの渡具知ビーチは戦前から地元の人々の憩いの場所として愛されてきました♪

絶景ビーチ、アメリカ軍が上陸、BBQ……。この3つの言葉が一列に並んでいいのか。

そんな場所で、地元の人たちは戦争前と後を、憩わなければいけなかったのか。こんなにも熱がなく平坦に言葉を並べて、観光として紹介できるほどに、消化することをわたしたちに強いられてきたのか。

ひどい怪我を負い、泣き叫んでいる子どもを見るのもつらいが、
むごい状態にあるのに、泣くことも諦めた子どもを見たような、にぶい衝撃だった。わたし自身、ことさらに沖縄の問題を見つめ、調べてきた人では全くない。。。

すぐに解決できるような、浅い話ではないのだと思う。現地の人たちだって、基地があるメリットを説く人もいれば、これまで起こった犯罪や事件と、日本で裁けない不条理さを怒る人もいると聴く。

そして原発やワクチン問題と同じく、わたしが何か変えられるものでもない。わたしが全て知っている訳でもない。

ただ、本当のことや、その場に居た人、被害を受けた人、あるいは懸命に社会を守ろうと従事してきた人、そういった声を見たいと思う。対岸から決めつけて喋る人たちではなく。


続いて、昨日もまた別の友人と長い通話をした。友人は石川県に住んでいるので、やはり年始の能登半島地震はどうしても話さなくてはならない議題で、彼女と話せることが嬉しかった。

もともとこの友人夫婦は、故郷である石川を離れて移住しようかとも言っていたのだけれど、彼女は今回の地震を受け、損壊した場所を復活させようと奮闘する人たちや、原本から動く人たちを見て、石川に住んでいたいと思い改めたという。

ああいった有事のとき、本性が現われるんだねとは彼女の談。

長くなったけれど、これがお題の「コンプレックスは埋蔵金」である。

自分で彼女にこれを言いながら、スッキリとした想いがあった。友人も「そう思う!」と喜んでいて楽しい時間だった。彼女の表現を借りれば毒っ気、例えばタクシー運ちゃんがポロッと出してしまった悪口などが好きだという友人。

なのだけど、対自分では、そういった要素を「自分はダメだ」と思ってしまうと。例えば、何かを取りに行った先で別のことを思いつき、忘れてしまう。あるいは、電気を消し忘れてパートナーに怒られる、または相手の地雷を避けて話しているはずがウッカリ踏み抜いてしまう、等。

別にどうでもいいやと思っていたら、傷つかないはずで、この話で言えば友人は「忘れない方が良い」と思っているのに、「忘れてしまう自分」だからダメ出しをしているのだよねと。

本人にとって、欠落している、自分は不出来である、ここがこんなんじゃなかったら良かったのに――そう思うパーツを、日本ではコンプレックスと呼ぶように思う。その多くを「劣等感」と呼ぶらしい。Wikipedia によれば、

衝動・欲求・観念・記憶等の様々な心理的構成要素が無意識に複雑に絡み合って形成された観念の複合体をいう。普段は意識下に抑圧されているものの、現実の行動に影響力をもつ。「感情複合」とも言われる。

―― Wikipedia – コンプレックス

ここでは、プライバシーに関わる情報を書きたくないので、Complex という単語を眺めることにする。

Com は結合したり、バラバラだったものが1つにまとまる印象を(わたしは)受ける。Company会社、企業Communication連絡、意思疎通、手紙Collect収集する……なにかこう、協同する、集合してくる感じがする。

これを書くにあたって、ヘンなことを書いてはいけないと調べてみると、接頭辞「Com-」について

①共に、一緒に/②意味を強めると紹介されていた。さっきの単語たちが①だとすれば、②なら Complete完全な、全部のComfort慰める、楽にするCommand命令する、指揮する 等。基本編シリーズ:よく見かける英語の接頭辞④ “com-”

Plex は何も分からない。英辞郎によると「~個の構成部分を持つ(建物)」だそうだ。合流させると、心理的に複数の構成部分が一緒になっている状態――そんな状態を Complex は表しているのかな。

であれば、話は簡単で、劣等感を埋めようとか、叩き壊すとか、訓練して向上する必要はない。ただ Com していたものを解体すればいい。複雑だから分かりづらく、自分または他者からみて「うわ(このコンプレックスまみれの人)面倒くさっ」となるのであって

「あー、わたしはこういうパーツ・構成部分があるんだな〜」だけでいい。その凸凹加減が、やはり個性であり、ならではなんだから。ただしあくまで“個性”であって、イコール“魅力”ではない。褒められる素質でないから劣等感を感じていたのであって、「わたしの凸凹は魅力だと思え!!」と他者に要求するのは論外だけど……

そうして盛るでもなく、削るでもなく、ただ自分のコンプレックスを受け入れている人は、他者のコンプレックスも動じずに触ることができる。だから人付き合いが穏やかに落ち着いていくし、結果として魅力的な人として映るのだと思う。

2024-03-18 つぶやきを始めてみます 🙂

ブログ記事を書こう! と思うと、力んでしまうところがあるので、もう少し気を抜いて、いま気になる事柄をピックアップしながらつづる部屋を設けたいと思います。


止まれを意味する「赤信号」。その反対は「青信号」というけれど、実際の色は緑色じゃないかーー。みたいな話が、子供の頃に飛び交ったことはあるでしょうか。

もともとは「アカ」🚩が意味する事柄について🔍していた今日。なんの気なしに「アオ」🔷のウィキペディアを開いたら、初めて見た情報が……👀

日本語の「あお(あを)」の推測の域を出るような語源は詳らかでないが、「しろ」(顕色)・「くろ」(暗色)・「あか」(明色)とともに色を表す語として古くから用いられてきたものである。

―― Wikipedia – 青

コハ
コハ

ほう、クッキリ度合いや、明度の差異を表していたのか。アカ=色味というよりも、明るさ、明らかになることを意味していたのかな… シロの「顕」と、アカの「明」が意味する字の違いもカタカムナっぽくていいなぁ〜〜

各地方言で「あを」は黄色まで指していたとされ、『大日本方言辞典』によれば、青森・新潟・岐阜・福岡・沖縄といった地方では、青は黄も意味した。

えっ、アヲで青〜緑に飽き足らず、黄色までカバーしちゃうの😲!? ビックリ。。。

オーラソーマや色相環的に考えたら、青と黄色って遠いけど…でもこうして見てみたら、青〜緑〜黄色まで(右上の半分)が「アオ」として、

紫〜赤〜オレンジが(反対の左下側)「アカ」と分類すれば、そこまで歪ではなくなるのかな。

片山龍峯が考察した一説として、日本語のアオは「アフ=会う・合う」、または、その連用形の「アヒ=間(隣合うの意)」と関連した語でありアイヌ語のアフ(会)の他界観とも関連するものと捉えられている

龍峯によれば、アオとは黒と白の範囲の中間色を意味する「間(アヒ)」からきているとされ(龍峰はさらに現世と他界の中間の意についても触れている)、沖縄でも青はこの「アヒ(間)」から派生した語であるとしている。したがって、大和・アイヌ・琉球における「アオ」の語源の流れは同じところから派生したものと考察している[9]。

こちらの文章も、とっても興味をそそられるなぁ…✍ と、つぶやきに認めた次第でした。

シロとクロが陰と陽、まだ物質化する前の根源的な力だとしたら、それが混ざりあった中途形態(意識)がアオ、それが物質化して明らかになるのがアカーーなんて想像をしました👀

cave syndrome より

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