コハのつぶやき(2024.4/29 更新)初めて、わたしが「健康」に慌てたとき

2024-04-29 初めて、わたしが「健康」に慌てたとき

わりと、「体」に無頓着で生きてきた。

前もってストレスを予防しよう、あるいは良いパフォーマンスを生み出せるように、とか。
●●って病気になったら怖いから△△を食べるのは避けよう、より質の高い睡眠のために☆☆を買って――といった発想が、自然と生まれてこないというか。

まぁ万事なるようになるでしょう、自分が動いたところでさして大きく変わらないし、へたに選んで変なものを買うのもいやだしね――みたいな漠然とした適当さというか、諦めと呼ぶのか。

そういった体を意識して動く、前もって対処しておく、生活をバージョンアップさせていく意思が後ろにある言動を人から聞く度に「へー、そんな考え方があるのかー」と驚いて、かつ「なるほどね〜、もっともだわ」と、真似できそうな部分だけ取り入れてきての今って感がある。

その後アロマセラピーやハーブ療法、あるいはホメオパシーなどの同種療法、その他各種代替療法から生化学や免疫学といった話にも興味を持ち、とうとうそこのスタッフにまでなってしまったわたしの経歴は、けして健康への関心ありきではなかった。

そこの代表が持っているコミュニケーション能力、マーケティング能力、ライティング技術、もちろんスピーチもすごい――に惚れ込んで、もっと知りたいと思っての動きだった。

そこから、人がもつ心理の働きや、言葉を選ぶ理由や世界認知の異なり(個性)、占星術に個人ビジネスの仕組みなどへもつれこんでいき、気がついたら今のわたしになっていた。

それなりに食事も気をつけるし、

日頃なんとなく出来る習慣も気づけばあり(水をよく飲む、なるべくコーヒーは1杯まで、ハーブティーをよく飲む、お茶のブランドは気をつける、プラスチックは熱いものや油分に触れさせない、なるべく缶ではなくビンを選ぶ、薬やサプリは飲まない、食材よりプロセス重視、まずはレメディーやクリスタルなどを用いる、夜は湯船に浸かる、体を洗いすぎない、2極に囚われない、手作り調味料や少しこだわりのオイルを買う、自分で精米する、1日1食は自炊したいし避ける調理法や食材は色々ある、等など)

それなりに不要なものは取らない塗らない吸い込まないようにする。
なにより、自分で知って自分で学ぼうとする。自己責任で決める。

そんな感じの今だけど、もちろん前はまったくそうではなかった。


“健康”を初めて真剣に考えたタイミングは、24歳くらいだったと思う。

会社に勤めて3年くらい経ったかのあたり。
力量不足へおおいに凹み、素晴らしく美しいモノが生み出せないジレンマ、「ここは◯◯だから違う、直して」と言われない完全なデザインを一発で出せない悔しさで(今思うと思い上がりが凄いのだけど、言われたら「確かに」と思うのに、自力でそこに辿り着けない知見の薄さ浅さに辟易していた)帰りの銀座線の車中、落涙しながら帰宅したこともあった頃。

つまり、仕事がイヤとかストレスを覚えるというよりも、遥かに夢中で没頭しており、のめり込むように励んでいた。

のだけど、パソコンを見て作業すると目が痛いと感じるようになってしまった。なんなら、普通に何かを見ているだけで、なんだか違和感がある……。

目はめちゃくちゃ困る。めちゃくちゃ怖い。わたしが好きなことは全部、目が必要なのだ。
でも、明らかに、むしろゼッタイ、パソコンのしすぎに決まっている。どう対処すればいいの?? 眼科に駆け込んだ。

自分のケースを話し、出てきた答えは、点眼薬と「目を使わないことですね」――以上。

「そりゃ、そうだ」と思った。目が熱く痛いのだもの。使わずに、そうだよね。

だけど、困る。なぜなら、わたしは新人の若い女性だからという理由で、なるべく残業しないようにと、上司が仕事を切ってくれていたのだ。会社に寝泊まりすることも年1回くらいで抑えてもらっていた(凄い人達は3日間ほぼ徹夜でパソコンにかじりつき、なんて職場だった)

コハ
コハ

わたし、あの会社のなかでは相当に目を使わない部類なんですけど! これ以上、パソコンに触れる時間、減らせないです!

咄嗟にそう思った。当時のわたしはこのへんが脆いというか、きな臭い。だから会社に求められるまま、他の人に移したら悪いよねとインフルエンザワクチンも本当は打ちたくないのに打った。ワクチンどうこうではなく、自分で決める精神性の足場や重心が自分にはなかった。


もらった目薬もそこそこに(だって原因は目薬と関係ない)、他の方法はないかと探すことになった。

わたしは小学生の時分から暇さえあればパソコンに触っていたのだが、10年パソコンを使って(ネットをすることで)良いこと・楽しいことしかなかった。のめり込むような面白さが常に先行していて、HTML&CSS も楽しいし、Photoshop も奥深ければ、素敵なサイトがいくらでもある。最高だった。

正確には、出くわした悪いことを覚えていないだけだと思うのだけど、とにかくそれまでパソコンによって体調が悪くなる体験は一度もなかった。

とりあえず、マイナスを減らせないならプラスを足すしかない。
何か体に良さそうなことをやってみよう――「そういえば、ハーブティーって良いらしいよね?」と、検索したことが、前述のボスのブログに辿り着く引き金となった。そして、わたしが体に興味を持ったいちばん最初のステップだった。

それから、会社のウォーターサーバーからお湯を出し、持参したタンブラーにティーバッグを入れ、毎日 500mL〜2リットルくらい飲むようになった。

コハ
コハ

若干ここで豆知識になりますが、味や色をカフェインフリーで楽しむハーブティーと、薬効を摂り入れ体質改善を求めるハーブティーは異なります✋✨

当時、ハーブティーといえばハイビスカスのような酸っぱい味の赤いものが多く、わたしは苦手で飲めたものではありませんでした。

そんなわたしが、当時まだ飲めたのがダンデライオン(タンポポ茶)でした。代替コーヒーとして、和な自然療法組でも人気ですよね。

あとは、ボスから「デトックス事始めにオススメ」と教えてもらい、その名もズバリのエブリデイ・デトックスも愛飲していた記憶があります。これもベースはタンポポなので、茶色っぽいいわゆるお茶な感じで、リコリスでほんの少し甘みが足してある感じでしょうか。
※ただ、ステロイドみたいな強い薬を使ってきた人達は、長く溜め込んできた炎症が発露するガチ・デトックスが始まってしまうと止められなくなり、社会生活が送れなくなってしまうので😢、今まで薬をたくさん飲んできた塗り込んできた人はこのお茶を3ヶ月以上は連続して飲まないように言われました。

コハ
コハ

今はミントが好きで、重たい食事を頂いた後や、外食から帰った夜に彼と一緒に飲むようにしています😊 昔はミントフレーバーって苦手だったので、自分の変化に驚きもありつつ。

トラディショナル・メディシナルズ(Traditional Medicinals)のハーブティーはボスのお墨付きで知ったのですが、実体験からも安心感を抱いてます。iHerb だとお安く買えることも大きいのですが。

我が家のハーブティーたち(一部)

薬草のクオリティも、農薬も、安全性も、そして酸化しないかもありますが、中身だけではなく、薬草を包んでいるティーバッグの素材がプラスチック含有だとか、あるいは遺伝子組換えトウモロコシ由来ではないか……気をつけ始めると細かい議題がたくさんあるんですよね😓

そこまで気にしすぎると生活が大変だし、こだわりすぎるといつしかネットワークビジネスに向かってしまうなと感じるので(ネットワークビジネスが悪いって言いたい訳ではないのですが、純粋な気持ちよりも売りたいと思ってしまいやすい仕組みな気がして自分は避けたい)

個人的には、いまの自分の力量や器や財力次第で程々にいきたいね〜と思っています。なんなら、自分でハーブを育てて飲むのが良いよなと思うし。

なので、例えばこのTM社がゼッタイ・イイ! とか言うつもりはないのですが、

自分たちが飲みたくないお茶は作りません。

1982 年以来、トラディショナル メディシナルズ (TM) は特別に作られた天然繊維ティーバッグを使用してきましたが、ついに、当初から私たちが正しく行ってきたことを検証するための新しい検証システムであるNon-GMO Project Verified (非遺伝子組み換えプロジェクト認証) が導入されました。

私たちをオリジナルと呼ぶ人もいるかもしれません。それに加えて、最近、オーガニックおよび非遺伝子組み換えプロジェクト認証済みの綿紐と森林管理協議会 (FSC) 認証紙で作られたタグを追加し、カップに浸したティーバッグのすべての部分が健康であることを保証します。あなたの体と環境のために。

バッグの作り方

30年以上にわたり、当社のティーバッグは、小規模生産の家族農家の権限を与えられた協同組合によってフィリピンで栽培された、持続可能な方法で栽培されたアバカの葉の繊維から特別に作られてきました。

―― What’s in Your Cup? – Traditional Medicinals(自動翻訳)

ここまでのこだわりっぷりは、世界や社会が求めてくる前から動いていた姿勢というのは、ただただ本当にお茶が好きなんじゃないかなぁ……と想像するのですよね。

すごすぎて、本当か? と疑ってしまう自分もいるんですが、ブランディングが上手だけどよくわからん透明性の会社から出ている高い金額の健康商品やアイテムで散財するなら、こういう会社から買いたいな〜と、思う。

1981年
当社はさまざまな有機栽培および国内栽培のハーブ製品を市場に出した最初の米国メーカーとなりました。

1998年
当社の創設者であるドレイクは、調達コミュニティを訪れた際、農村地域における農民と収集家の経済格差を目の当たりにしました。農家や収集家の健康をサポートしながら、高い基準を満たす高品質のハーブを継続的に入手できるようにするために、私たちはフェアトレード認定ハーブの探索を開始しました。

2010年
B Corp 認証を取得した最初の天然製品企業の 1 つとなりました。
認定 B コーポレーションとして、当社の全体的な環境および社会的パフォーマンスは B Lab によって測定され、独立して検証されています。この第三者による検証を選択することで、透明性を確保するための最良の機会が得られ、善を推進する力としてのビジネスへの当社の取り組みが強化されます。

―― About – Traditional Medicinals(自動翻訳)

薬効をしっかり引き出すために、抽出時間も10〜15分間と書かれています

その後、色んな出会いや決心があり(311も挟んで)退職、開業届を出したのがそれから2年後くらいだったでしょうか。

まぶしくて目を閉じていたい
時間的制約へのストレス、選択や決断への躊躇

――『病気は才能』おのころ 心平 (著)

目のトラブル

(中略)どんな目のトラブルも、意味しているところは同じです。
つまり、ある人またはある物を失う危険をおかすくらいなら、それよりも目の前で起こっていることを見ない方を選ぶ、というものです。つまり、自分を守ろうとしているのです。すべてを見ること、すべてに目を配ることをやめてしまったわけです。

(中略)目に関するどんなトラブルも、非常に大切なメッセージを含んでおり、あなたが魂の望む方向に進んでいない、本来の人生計画を実現させていない、ということを教えようとしているのです。

――『自分を愛して!―病気と不調があなたに伝える〈からだ〉からのメッセージ』リズ・ブルボー (著), 浅岡 夢二 (翻訳)

あれからもパソコンにのめり込む暮らしに変わりはないけれど、その後あの目がずっと痛く気にかかる現象は、起きていません。

コハ
コハ

もちろん物理的に、パソコンを長時間使うことは体にストレスがあると思う。だけど、起こってくる炎症やトラブルは、すべてが物理的理由ではないと考えるのは、こうした体験があるからかもしれないな〜と振り返って、思いました😊

2024-04-28 シャカイセイ

「社会」とか「社会性」「社会問題」なんてコトバがあります。

あなたは、このコトバにどんなイメージを持っていますか?
自分は“社会性”に長けていると思いますか?🧐
今まで感じが掴めなくて。
それってたぶん、「みんな」ってことだと思うのですが、その「みんな」は何処にいるんだろうと。
ふよふよとした想像でしかなく、どこかに明示されているものでもなく。
どうしていつ何時でも“みんな”は「みんな」が召喚できるんだろう。その「みんな」に基づく行動を相手に求められるんだろう、と不思議でした。
コハ
コハ

テレビとか新聞に代表されるような、世論ってこと?
ソニープラザ(現PLAZA)の売れ筋ランキングとか?
あるいは「常識」とか「普通」ってことなのかな??

そんなのどこにも書いてないし、わたしは教わったこともない。
例えば赤信号は渡らないとか、廊下は走らないとか、学校の成績が良くなるように努力すると望ましいとか、食事は残さない方がよろしいとか、なるべく掃除に意欲的で友人に優しく、挨拶は自分から行うといいとか、そういう規則やルール、大人たちが求めてくる「よい子ども像」はあったけど。
それは「みんな」じゃないし。
「社会」ってモノを、わたしは触ったり見たり掴むことも出来ない。
みんなは一体、どこで感受しているんだ??
そして、どうして一斉にある1人の子をイジメたりするんだろう?? 告げ口をしたり、仲間外れを作ったり、時にわたしのシャーペンを盗んだりする。意味がわからなーい!

例えば、「好きな男子はだれ?」「ジャニーズだったら誰が好き?」という質問がされる度に、「あなたの言う好きってどういうこと?」「どうして学校の中で決めるの? いないとおかしいの?」「その質問をすることで、あなたはわたしの何を知りたいの? むしろそちらを聞かせて」というような、「???」が浮かんで答えられない。

ジャニーズに対してそんな想像をしようと思ったこともなかったので、この質問は非常に驚きがありました。

でも、彼らから出てくる“そういった動き”が生まれてこない、同じように乗れない自分がオカシイのだろうなと、そんな自分を卑下したり恥ずかしく疎ましく思っていました。でも、感じ取れない分からないものは分からんのです。


わたしは幼年期からこうしたコトバでたしなめられることがあって(もっと社会性を持っていればいいのになみたいなフレーズで)、なんとなく周囲の人がいう「社会性の高い人」は自分とは異なる人であり、=わたしは非社会的で劣った人なんだろうな〜という自己認識でいました。

だからなんとなく「社会」というコトバに象徴される団体とか、外向的な雰囲気とか、空気を読みましょうねというグループは苦手意識があります。

自分には程遠い、どこか遠くのムズカシイ世界って感じ。

コハ
コハ

これを読んでくださっている方々は、ここまで社会とか世界というコトバが遠い存在だった人はいないかもしれないので、共感は生まれてこない文章かもしれませんが ^^;

今は、社会って別に大層なものじゃないよなって。
ただの、人間が集まったときに形成された状態をそう呼ぶんだなあと。

か‐てい【家庭】

② 夫婦、親子を中心にした血縁者の生活する最も小さな社会集団。また、その生活の場所。

―― 家庭 – コトバンク

「あなたは社会性がない」と言ってきた人は、わたしよりも社会性がない人だったのだろうなと今は思います。

本質では「わたしが望むように動いてほしいのに」という、「わたしは“周囲”に求められた動きをしているのに、なぜ、あなたはそうしないのか」という意味だったんだなと。その人の心に浮かぶ妄想の塊だったから、わたしには理解できなかった、コロコロと変化していく不可解なモノだったのだと思います。

2024-04-27 🎙世の中の不安に飲み込まれない方法と、透明度の高い会話

2024-04-23 🎙コロナワクチン、自然療法…プレとポストでみる意識のラセン

2024-04-22 藤の花と熊ん蜂

もうすっかり新緑の季節ですね!

滋賀へドライブに出かけた際に、立ち寄った公園で藤棚も。

実家に住んでいた頃は、ゴールデンウィークには公園で見に行くのが家族行事みたいになっていたのですが、そこの藤棚は立派すぎるせいか、真っ黒な熊ん蜂がブンブン飛び交い、普通に手や体に(彼らが花粉に夢中すぎて??)ぶつかってくるほど。

なので、のんびりと佇めず……。笑

フジの仲間の花はクマバチに特に好まれるが、とても固い構造で蜜を守っており、クマバチの力でこじ開けないと花が正面から開かない

また、クマバチが花に止まって蜜を飲もうとすると、初めて固い花弁が開いて隠れていた花柱と葯が裸出し、クマバチの胸部や腹部に接する。このことから、フジはクマバチを花粉媒介のパートナーとして特に選んでいると考えられる

体が大きく羽音の印象が強烈であるため、獰猛な種類として扱われることが多いが、性質はきわめて温厚である。ひたすら花を求めて飛び回り、人間にはほとんど関心を示さない。オスは比較的行動的であるが、針が無いため、刺すことはない。

―― クマバチ – Wikipedia

特別な間柄なんだね〜。

向こうが何を攻撃と見なすかも分かんないしな、とか、向こうからすればこっちのほうがメチャ大きくて怪物だろうしな〜とか考えていた自分を思い出しながら。

また今回立ち寄った公園が、すごくのんびりとした憩いの雰囲気だったんだよね。近くのベンチでおじさま2人が会話してるんだけど、「ツバメの巣」について話してたりして(いいやん、うちにも出来てほしいよツバメの巣とか、なんとも和む会話だった)

満開! のタイミングだったのか、花の香りがふわ〜っと漂ってきて。これから咲くときの花弁たちは、あんな形で密集しているのね! なんかアスパラガスみたいな、ミサイルみたいな。知らなかったーと思って撮った一枚。

それにしても藤の花って、なんか怖くないですか?? 子どもの頃、なんとなくパンジーの顔も苦手だった……。アグレッシブというか、直進で向かってくる、話を聞いてくれない人って感じがしていたというか。

つる植物で、寄生する種っていうのもドキドキするんですよね。藤原家のイメージもあるのかしら。どちらにしてもそういう心象風景を受けるのかな。

山に入ると、もう取って食うかのように藤のつるで侵食されてしまった木たちを見かけて、「ワァ……」と思う。

本種は高木に巻き付いて登り、その樹幹に葉を広げる。その枝葉は高木の葉を被って日光を遮り、また幹は樹木の幹を締め付けて肥大成長を阻害するので、樹木は生長を阻害され、時に枯死する

―― フジ (植物) – Wikipedia

小さいときは、それを「ひどい」と思っていたけど、今思うとその植生にも地球や全体で眺めたときに意味があるんだろうな。

2015年に、福岡に住んでいるご夫婦に連れていってもらった河内藤園の写真も♡

うーん、怖い。これを「いいね」と思って棚を作って愛でる日本人、不思議だわ〜。

2024-04-17 🎙コロナワクチン発信者について思うこと

2024-04-15 🎙声からも、こんにちは

はじめましての声ブログ? を録音しました😃 「声」って、その人がすごく感じられるものだなぁ〜と思っていて。コハってどんなやつなんだろ? という方に届いたら嬉しいです。

ブログを声からも綴るというか、表現していけたら。と思っているのですが、合わせて、これを読んでくださっている「あなた」と声を介してお話できたら嬉しいなあ!! と思っています。

↑ここからもメッセージが送れるみたいです。

メールでも、Instagram の DM でも、よかったらコハと話したいこと・聞いてほしいこと・なんでも送ってくださいませ💐 お待ちしております。

2024-04-15 眉メイクと気づかない「思い込み」

今朝カンタンに眉毛周辺に色を乗せながら、ふとイガリシノブさんが眉メイクを教える LIVE映像をみたときのことを思い出した。

なにかというと、
シノブさんが、ご自分の前髪をヘアクリップなどで留めることなく、前髪は眉毛に一部かぶさるような状態で、そのままアイブロウブラシを動かしていて

「前髪とめてください!」
「なんでクリップでとめないの?」みたいな視聴者コメントがうわーっと付いて、

それを見たシノブさんが「あーごめんね。気になるよね」「わたし自分のメイクは雑なんだよね〜アハハ〜」……みたいに返していた記憶があるのだけど

それとはまた別の動画の中で、シノブさんが、

「前髪がある人は、クリップで留めてる時じゃなくて髪を下ろしたときがメイクの完成状態になる訳だから。わたしは前髪を下ろしたままメイクする方が想像しやすいんだよね」

……というようなことを話されていて、なるほどーーーたしかになーーーーって印象に残っていたことを思い出した。

あの場を収めるためか、あとはメイクを伝える動画なのに見づらいことへの謝罪だったからか、あの場ではそういう理由は伝えられなかった。でも、ただ雑だから面倒だからクリップで留めていないのではなく、完成形を想像するには無い方がいいという理由もあったのかも。

だけど、冒頭の LIVE配信中、そういった考察や理由があるのかも。と考えたコメントは見受けられなかった。コメントする人はほとんど、シノブさんが手抜きしてるんだと決めつけていたような印象だった。


だいたい、雑誌でもなんでも「眉メイクを教える記事」であれば、“美しい眉の書き方”になる訳で、前髪含めたりとかまでは拾いきれない。どれだけ良くなったかのビフォー&アフターを掲載する絵としては、そりゃ眉毛全貌が見える必要があって、そういう絵には前髪はほとんど眉に乗らない。

だけど、ほとんどの人は眉毛がすべて見えた状態のヘアスタイルというより、一部が隠れていたり、なかにはほとんど見せない前髪の人もいる。だから眉毛適当です、なんなら眉メイクしたくないから前髪厚めです。っていう女性もいるくらいで……

こういう見落としとか思い込みは、日常のなかにもワンサカあるだろうなーと思うのでした。

シノブさんはいつも新しい理論を生み出していて、ほんとに創造的な人だなぁと感じる。

眉メイクは長いこと、WHOMEE の熊野筆ブラシとパウダーを使っている。描きやすい! 前はそんな一部分……と軽視していたけど、まぁほんとうに眉毛で顔の印象は変わってしまうし変えられる。

メイクもまた面白いなぁと思います。何より、顔に直接「色」を乗せて「線」を変えて「印象」を操作しようとするその意気込みが非常に強い! なんとも戦闘的マインドだと思う。

2024-04-13 “女性性の時代”と叫ばれて

共同親権に絡めて、つらつらと考え事をした。分からないので、実際を知ろうと、ネットごしだけれど色んな意見やデータを見て回った。

恐ろしいような、悲しいような流れにも感じるけれど、人間的な感情やレイヤーをつきはなして大きく眺めたら、なんのためなのか。

これもまた、女性の解放に向かう経緯なのかもしれない。
インターネットが普及して、SNS で世界中の人とコミュニケーションが取れるようになり、自ら稼いで発言していく自由を得ていく時なのかもしれない。

いやいや無茶だよって思うような出来事であっても、それほど追い込まれていくことで巻き込まれるように全体が動いていくのかもしれない。

結婚って何なのだろう。出産って、子育てって、家族って何なのだろうか。

2024-04-11 ひさしぶりのスケッチ

以前 Pinterest で見かけて、とっても好きだなぁと感じた写真があった。光の具合とか、色合いとか、互いを見つめ合う眼差しとか、ふわ〜っと力が抜けて惹き込まれていく感覚。

つい印刷して、ノートに貼ってしまう。

でも、自分には美術の学がなくて、なんの彫刻なのかも分かっていなかったのだけど(そして調べてみようとも思っていなかった)

今日ひょんなことから、ルーヴル美術館にある「アモルの接吻で蘇るプシュケ」だと分かり嬉しかった。



そこから、この像をもっと感じてみたいと思って、久しぶりに iPad でお絵かきを……🎨😊

改めてすごい角度だなぁ〜とか、うーん足首がぷるぷるしそうだな〜とか、筋肉がこういうふうに流れているのかなぁ、ここに肉がのって……などと想像しながら。楽しかったーー。

といってもトレス絵なので、“絵を描いた”と言うにははばかられるんだけれども……こんなに没頭して対象にのめり込んで絵を描いたのは何年ぶりだろうという感じ。

物語の筋書きにある、魂と愛、死、生まれてくる喜び。う〜むと唸ってしまう。ギリシャ神話、ローマ神話、やっぱり深いなぁ……🥺

そして記事にしたいなぁと思っている、ホロスコープの小惑星たち。この間、目立つ合(コンジャンクション)を調べまくったのだけど、わたしの場合は IC&火星へタイトに小惑星プシケ(16)が乗っかっているのもなんだか感慨深いなぁと思う。

2024-04-10 さいていで、さいあくな AI の使い方

コロナワクチンに続いて、長くなったのでこちらも記事に分けました。

2024-04-09 “からだ”のこと・漢字の表記と語源

先日のことです。

友人に、いったい何からブログに書いたらよいか分からない、読んでみたいテーマを教えて欲しいーと無茶な相談というかお願いをしたところ、

コハちゃんが書く体のことを読んでみたいな〜
例えば、西洋医療と代替療法とがあったら、どちらか一方を支持している人はたくさんいるのだけど、どちらもフラットに見るような目線になかなか出会えなくて

こんなトスをもらいました🙏✨(Nちゃん、ありがとうーー!)

ちなみに、わたしは皆さまやあなたからの質問や要望に、とても飢えています!!!!🙆‍♀←コミュニケーションを強く求めている人

コハに投げかけてみたいことや質問や雑談などがあったら、ぜひメールでご一報ください! Instagram の DM でも。ブログに書いたり、もしかしたら音声でお答えしたりしていこうと思っています。

コハにメール送るぜって人はここをタップしてください

コハ
コハ

お待ちしております

体かーーーと、それ以来たまにポワポワと考えているんだけど、思いつく限りでも、いろーーーんな切り口や、取っ掛かりがあるなーーー、と思う。

  • 「からだ」の捉え方、定義、認識
  • 自分の「からだ」をどう感じて対話しているか。
  • 例えば「からだ」が思わしくないとき、どんな対処をするか。
  • 例えば「からだ」を快く使い続けるためのケアや創意工夫。
  • あるいは代替療法と西洋医療とに感じること。
  • 世間にあふれる健康情報や、からだによいノウハウについて思うこと。
  • わたしが取り入れたり、受け入れる療法や健康のプロについて。

そして、ここでなぜか過ぎったのがこちらの画像。

ネットでよく出回る、初出が分からない?? 画像なのですが、こういうの面白いよね。

宗教「こう生きなさい」
哲学「なぜ生きるのか」
科学「生きるとは何か」
文学「もしこう生きられたら」
芸術「これが生きる形だ」
歴史「それが生きた証だ」
美学「そうやって生きたい」
世論「生きてさえいればいい」
医療「生かしてみせる」
役所「生きている事にする」

例えばこんなふうに書き換えてみたりしてね。体に置き換えようと思ったけど、意識になっちゃった。

宗教「こう在りなさい」
哲学「なぜ在るのか」
科学「在るとは何か」
文学「もしこう在れたら」
芸術「これが在り方だ」
歴史「それが存在した証だ」
美学「そうやって在りたい」
世論「存在さえすればいい」
医療「存在させてみせる」
役所「存在する事にする」

これを読んでくださっている👉あなたは、どの言い回しに最も惹かれるでしょうか。あるいは、すーっと馴染むでしょう?

わたしはやっぱり……哲学「なぜ生きるのか」と、科学「生きるとは何か」だなぁ。なぜ在るのか、在るとは何か。う〜ん、ちょっとした性格診断にもなるかもしれない😊


そんなわたしはまず、からだを言葉から始めてみたいと思います。

最初から脇道に入ってしまう気もするけれど、わたしが気になったり引っかかるのは「からだ」の表記方法なのですね。

からだ、カラダ
――この2つでも、なんだか受ける印象が違いますよね。どんなキャラクター像というか、絵が浮かぶでしょうか。わたしが関わりを頂いているお客様だと3名様くらい、あえて「カラダ」という言い回しを選んで投稿なさっている方々がいらっしゃるな〜。

体、躰、軀、體
――「体」だと、なんだか素朴な運動会のよう。子どもから大人まで、どんなシーンにも使える感じがします。後ろの3つはなんというか、やや思想を感じさせるようなニュアンスが。國體、とか出てきそう。骨が豊かと書いて「からだ」と読ませるところは好みです。

肉体、身体
――わたしの周りではこの「身体」と変換する人が多い気がしますな。


わたしは基本的に「体」を使うようにしています。いちばんシンプルというか、ベーシックで、まじりけなく「からだ」そのままそのものが伝わる気がするんですよね。

「精神」、「霊魂」とのセットで「からだ」をお呼びしたいときは、2文字に合わせて「肉体」と書くようにします。肉の、体。実にリアルだなぁと感じてこれも好きです。

「体」「肉体」と比べると、おそらく人気の高い気がする「身体」は気取った……よく言うとオシャレな雰囲気というか、人間様感というか、しっくりピタッと来ないのですよね。もっとネイチャーなものというか、ダイナミズム感というか、ズルズルとグチャグチャとしたものを内包した、根源に畏怖がある原始からのものだろう肉体って、最も低次のボディだろう! みたいな。


せっかくなので(?)白川静氏による『字通』を引いてみます。

【身】シン|みごもる、み、からだ、みずから
[象形]身ごもっている人の側身形。
[語形]身・㑗・娠 sjien は同声。身が妊婦の形。㑗はその派生字、娠は体内の振動する意で、身に対する形声字である。
【体】〚軀〛タイ、テイ|からだ、かたち、もと
[訓義]①からだ、骨つきのからだ、犠牲。②かたち、ありさま、形状、すがた。③もと、もちまえ、さが。④形と質の全体。⑤ことわり、のり、のっとる。⑥みずからする、したしくする、したしむ。⑦おこなう、身につける。
コハ
コハ

ほーーーー、面白〜い!

辞書で「身体」を引くと、人間に用いる言葉であり動物には使用しないといった向きが書かれているのですが、理由を述べられたものは今まで見たことがなく。

“身”は妊婦さんの姿を横から見たときに生まれた字だとするならば、二足歩行して身ごもる人間にしか当てはまらない字だというのはやっと理解できる気がするなー。

体を見つめるとき、どこから眼差しを向けているかでフィットする漢字(世界)も違うように思います。前章の予告編みたいな内容でしたが、こんなところで今日のつぶやきはドロン🥷

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